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新婚なの! 8-1 (1)

「―――ちゃん」
「……」
「―――タちゃん。うーん、起きないなぁ」
「う、う~ん……?」
「あ、起きた?」
「……な、なんだ? なのは、か」
「おはよう、ヴィータちゃん」

 耳に馴染んだ声に呼ばれているのは分かっていたけど、中々意識を持ち上げることができなかった。
持ち上げると言っても沈んでいる訳じゃなくて、浮いているというか、寝てしまう寸前の何ともいえない浮遊感というか。
どこまで沈みこむ中で、浮くような感覚―――であるのは確か。
そんなどっち付かずな感覚に、身体はまだ眠ったままなのか、全く言うことを聞かず動く気配がしない。
この感覚。どこかで覚えがあるんだけど……なんだったか思い出せない。
それでも声の主を何時までも待たすわけにいかず、なんとか動かすことが出来そうな口だけで応答することにした。

「……おはよう。……いま、何時だ。もうそんな時間か?」
「え~っと……半前だよ」
「九時か、十時か?」
「そんな時間だったら大遅刻だよ。もちろん、七時、のだよ」
「七時…………ん? どうしてそんな早起きなんだよ、なのは」
「どうしてって。これから出勤だよ。今日も頑張ってお仕事なの」

 目はまだしっかりと開かない。
そんな寝ぼけ眼のぼんやり視界の中で、栗色の塊を認識することが出来た。
こりゃ、なのはの髪だろうか。
いくら休暇とはいえ、余りダラダラと寝ているのも良くない、とはアタシの台詞だけど、それでなのはが起こしてくれたのか?
そう思いきや、返答は全く予想外のもので、普段どおりの出勤時間――より気持ち遅め――だった。
驚いているはずなのにリアクションがとれない。
瞼が堪らなく重く、差し当たって大した抵抗も出来ないまま目を閉じてしまった。

「書置きでも良いかなって思ったの。ヴィータちゃんが余り気持ち良さそうに寝てるから」
「……あ、そう」
「でも、それだと起きた時に寂しがるかな~って心配になったから起こしたんだけど……どうかな」
「どうかなも何も起きちまったんだからよ……ふ、ふぁ~あ」
「それじゃ行ってくるね。帰りはたぶん昨日と同じぐらいだと思うから」
「昨日って……どのくらいだっけ」
「七時前だったと思うよ。しっかり覚えてないの、ごめんね」
「ふぅん、そっかぁ」
「早くに起こしちゃってごめんね。疲れてるんだろうとは思ったんだけど」
「……別に構やしねーって」
「それじゃ、ヴィータちゃん」
「……むぅ」

 前髪をかき上げてくれる。
思ったよりもヒンヤリとした手は気持ちよくて、ベッドに沈み込んでいく意識が少しだけはっきりした気がする。
その、はっきりした意識の殆どは、その冷たさに向いてしまう。こんなに冷たかったろうか、と。
そう考えているうちに手は離れ、名残惜しく凸に意識を集めていれば、待っていたものとは違う、なにか柔らかなモノが当たる。
先ほどとは違う、僅かばかりに温かな、何か。
それも一瞬。ほんの一瞬だけ。声を上げる間もなくそれは離れていき、空気が動いてなのはの香りが鼻をくすぐる。

「……んだよ。人が動けないと思って」

 行って来ます、のチューだった。
 
 
 
 
 
「う~。身体中が痛ぇや」

 意識して、いつもみたいに胸が早鐘を打つように跳ね、身体中が熱くなるのかと思いきや。
はっきりとしたと思っていた意識はまたも沈み始め、身体は相変わらず言うことを聞かない。
思考ははっきりとしていると思っていたのは間違いで。
あっという間にベッドに飲み込まれていった。
それも一瞬、また直ぐに目を覚ましたと思ったときにはすでに三時間が経過していて、目覚まし時計の針は十時を半分以上過ぎていた。
流石に起きなければならず、寝返りを打つようにベッドから脚だけ下ろす。
次いで上半身を布団から引きずり出し、頭を上げようとした時。勢いあまって尻餅をつく。
身体が重いとは思っていたけど、こりゃ酷い筋肉痛ではないか、その時初めて思い至った。
軋む、強張った足を引きずって何とか部屋を抜け出した。

「遅ぇけど、朝飯食べなきゃなぁ……」

 のそのそと腰を曲げて歩いていけば、綺麗に片付いたテーブルが目に入る。
ガッカリしてないと言えば嘘になるけど、どうせそんなもんさ、と自分に言い聞かせて台所へ向かう。
乾燥棚へ行く途中、流し台を横目で見やれば、そこは綺麗に片付いていた……が。
それは片付いていたというより、使っていないが為の綺麗さだった。
少なくとも昨日の晩、なのはが片付けたときから使われた形跡がない。
不振に思いながらも、ここで足を止めてしまえば再度動く保証もなく。仕方なく後回しにする。
乾燥棚を開けたところで、今度こそガッカリと肩を落とす羽目になった。

「……なんもねーじゃねーか」

 見事に片付いていた。
買いだめしてある調味料などの類はあるが、パンやその場で直ぐ食べられそうなものは皆無だった。

「はぁ。どうすりゃ良いんだよぉ」

 力なく扉を放せば、音もなく、静かに閉じられる。
こうなれば、少しでも腹の足しになるものを。冷蔵庫ならば何か入っているはずだ。
微かな希望を胸に冷蔵庫の扉に手をかけるが、そこで基本的なことを思い出した。

「あに言ってんだ。今日、なのはと買い物行くって言ってたじゃんか」

 しかもそれを言っていたのは、他でもない自分自身。
この分では昨日と変わらない冷蔵庫には、目ぼしいものは何もなかったはずなのだ。
冷蔵庫の扉を開けることなく、その場から引き上げる。
テーブルの横を過ぎ、ソファーに倒れこもうとする。ふと壁にかけたカレンダーに目が留まった。
日付に印がついており、そこには「ゴミの収集日」とあった。
そうか。すっかり忘れてたけど今日はゴミの日なんだ。
なのはは忘れずに出しただろうか。
いや、幾らなんでも出しただろう。
自分の出張中に一回、それから一週間近く経っている。
その間一人暮らしとは言え、ゴミは少なからず出る。出してなきゃ今頃ゴミ箱はいっぱいだ。

「……まあ、今更言っても遅いけどな。とっくに時間過ぎてるしよ」

 確かめることもなく、そのまま倒れこむ。
足の裏、ふくらはぎ、太もも。腰にわき腹に背中。肩に首。
ギシギシと、音を立てそうなほど硬くなった足ではもう歩きたくない。
膝を突いて身体をくの字に曲げ、みっともない格好のまま正午を知らせる鐘の音を聞くことになった。


 


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