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2008年5月 4日 (日)

雨の日はあなたと。 後

 
「あ~あ、今日も疲れたぁ」

 午後の訓練を終え、すっかり日の落ちたミッドチルダ。
訓練場を出た四人は、そうであるはずの光景が違ったことに違和感を覚えるのでした。

「あれ? まだ雨が降ってるよ」
「今日の予報では夜には上がるって言ってたのに」
「傘……持ってこなかったです」

 大きな月が自分たちの帰り道を照らしてくれるはず。
そうであるはずの夜の風景は、相変わらずどんよりとした暗さに満ちていたのでした。
しかも、ドアを開けた瞬間、耳に届くのは昼から続く雨粒が地面を叩く音。
予報では夜までにあがると言っていた雨は未だに降り続いていたのです。
流石に雨脚は弱まってはいましたが、それでも全く無視できるほどには弱くなかったのです。
滅多に外れない予報を前に、困惑の言葉を口にする三人。
しかし、そんな三人とは変わって、全く動揺していない人がいたのです。

「でもこのぐらいなら走って帰れるよね。じゃあ隊舎まで――ぐぇ! ちょ、ちょっと何するのティア~」
「待ちなさい、スバル。傘ならちゃんとあるわよ」
「良いったら~。どうせ直ぐにお風呂に入るんだし濡れても大丈夫だもん」
「ダーメーよ。そのベタベタのまま歩き回って。それを誰が掃除すると思ってんの?」
「…………ごめんなさい」

 襟首を掴み、有無を言わさず傘を差すことに同意させるティアナ。
スバルはすっかり大人しくなって、まるで母親に叱られた子犬のようになっています。
ティアナの口ぶりから、自分たちの会う前から何度かこういうやり取りがあったのかな、と思うエリオ。
しょげたスバルを可愛いと思いながらも、頼もしいティアナの様子にちょっぴり憧れるキャロでした。

「全く。いつまで経っても子供なんだから」
「まだ子供だよ~。ったた! 痛い!」
「屁理屈捏ねないの。ああ、心配しなくて良いわよ。二人の分もあるから」
「わぁ! ありがとうございます」
「それにしてもティアさん。雨が止まないって分かってたんですか?」
「え? う~んと……まあ、今日は偶然持ってたって言うか……そんなことは良いから。はい、これ」

 左手にもった二本の傘を差し出します。
流石ティアナさんだ、とキャロはお礼を口にしながらその傘を受け取ろうとします。
けれど、二本目に手を掛けたところで、スッと手を引かれてしまったのです。
思わず小さく声を漏らしていますキャロ。
その隣ではエリオも当然驚いています。

「先に言っとけば良かったかしら。傘、二本しか持ってきてないって」
「えっと。それじゃどうやって」
「エリオ? あんたが傘、差してあげなさい。キャロを入れてあげるの。わかる?」
「僕が傘を持って、キャロと二人で?」
「そう。相合傘になっちゃうけど、別に私たち以外見てないし、構わないでしょ?」
「は、はい。でもその……アイアイガサってなんですか?」

 それは私も分かりません。と続けるキャロ。
 これは気に掛けた分も分かってないわね、とティアナは二人の今までの境遇を思い出すのでした。
滅多にあり得ないシチュエーションだとしても、普通、このぐらいの歳で相合傘は嫌がったりするかしら。
でも、この二人にはそういう"普通"がなかったのよね、と。
僅かに湧く自己嫌悪を脇に寄せ、簡単に説明します。
すると二人は、なんだか楽しそうなことに期待を抱き、早速傘を広げるのでした。

「よい、しょっと。じゃあキャロ、入って」
「お邪魔します、で良いのかな。えへへ、なんだか近いね」
「ああ、エリオ。逆の手で持つのよ。そうじゃないと反対側が濡れちゃうでしょ?」
「あ、そっか」

 こっちで良いんですよね? と聞き返すエリオは左手に持ち替え、キャロもすっぽりと傘に収まるのでした。
大人用の傘を持ってきたお陰で、そうしなくても収まってはいたのですが、敢えて黙っていたティアナ。
気遣いを覚えさせるのもありましたが、左肩を意識させることで、キャロに間を詰めさせる狙いもあったのです。
その狙い通りに、二人の間は自然に狭まり、傍から見ても仲睦まじい様子が窺える雰囲気になっています。
そうやって満足そうに眺める視線などお構いなしに、傘の中の二人は、初めての相合傘に興味津々のようでした。

「こんな風にするの初めてで……なんだか緊張しちゃうな」
「私も。でも、なんだか楽しい。エリオ君はどう?」
「僕もだよ。こうして傘を二人で差すのって……じゃあティアさん。僕たちお先に失礼します」

 二人並んで丁寧にお辞儀。
エリオにはキャロを気遣うように。キャロには濡れないようエリオにくっ付いているようにアドバイス。
二人はお互いにその助言を確認すると、ゆっくり雨の中を歩き出します。
小さな身体に不釣合いな大きな傘。
半分隠れてしまった赤とピンクの頭を、ティアナは満足げに見送るのでした。

「さてと。あたし達も帰るとしましょうか……って。なに、その顔は」
「ふふ~ん。ティアったらぁ。そうしたいなら言ってくれれば良いのに~」
「な、なんのことよ。あたしは別にアンタと相合傘がしたいなんて一言も言ってないわよ」
「でも、傘は一本しかないんだよね。どうするの?」
「したいんじゃなくて、せざるを得ないの。四本も持ってこられなかったんだから仕方ないでしょ」

 ティアは嘘を吐くのが下手だなぁ~。
そんなことを口にしようものなら、思い切り叩かれてしまうのは火を見るよりも明らかです。
こんな小さく畳める傘を四本持てなかったなんて、そんな下手な言い訳、小学生だってしません。
それでも、照れ屋なティアナがどういう心境の変化か、自分から相合傘をしたいと言い出すだなんて滅多なことではありません。
 若しかして、そうだから天気予報が外れたのかな――?
またも叩かれてしまいそうな言葉を慌てて飲み込んで、スバルは甘えるようにティアナに抱きつきます。

「じゃあ早く帰ろう、ティア」
「なに抱きついてんのよ。傘持つのはアンタよ。私は入れてもらう係り」
「え~、どうして。あたしはティアに入れて欲しいんだけどなぁ」
「傘を持ってきたのはあたしなんだから、そっちが差してくれるぐらいはしても罰は当たらないと思うわよ」
「……は~い、分かりました~」

 しぶしぶ傘を受け取り、雨粒の落ちる空に向かって広げるスバル。
黙って肩を寄せるティアナ
思わず疑問を口にするスバル。
それに対して、照れたようにそっぽを向いてティアナは答えるのです。

「濡れないために傘を差すんだから、くっ付くのは当然でしょ。ほ、ほら。早く追いかけるわよ」
「は~い。分かりましたよ~」

 雨が降っているというのに、意気揚々と歩き出すスバル。
 相合傘ぐらいで何をそんなに喜んでんだか――
ぼそぼそと呟く声は、それは決して本心ではなくて。
どんよりとした闇が覆う夜。
傘一つという、雨が降りしきる中で雨に濡れない小さな空間。
辺りは全ての気配が形を潜め、代わりに雨粒が滑り落ちる音だけが全てを埋め尽くしていて。
本当に、ここには自分達だけしかいないような錯覚。
隣を歩くパートナーの顔が、普段よりもグッと近くに感じられて。
ティアナは、一人喋り続けるスバルに相槌を打ちながら、可愛らしい笑顔を浮かべていた上官の話を噛み締めているのでした。

 

 

 

「なのは。お疲れ様。いま終わり?」
「あ、フェイトちゃん。いま帰って来たところ?」

 新人四人を先に帰し、後片付けをしていたなのはの所へ、執務官服に身を包んだフェイトが顔を出しました。
荷物片手に駆け寄れば、室内から漏れた明かりと外の暗さの落差で、いつも以上にその金髪が美しく見えるのでした。

「うん。今日は室内訓練だって聞いてたから、覗いてみるとまだ明かりがあったし」
「ちょうど今終わったところなんだ。それで後片付けしてたの。待ってて? 直ぐに終わるから」

 うん、とフェイトが返事をしようとするのを遮るように、その名前を呼ぶ声がします。
その主は、なのはの後ろからひょっこり顔を出し、小さな身体に不釣合いなほど荷物を抱えた赤毛の女の子。

「ヴィータ。お疲れ様」
「ああ、そっちもな。なのは、先帰っていいぞ。残りはアタシがやっとくからな」
「え、良いの? まだちょっと残ってるよ?」
「へん。普段やんねーくせに、フェイトの前だからって良い格好すんなよ。素直に甘えときゃ良いんだ。隊長さんは」
「えへへ、ゴメンねヴィータちゃん。それじゃ、お言葉に甘えちゃおうかな~」

 溜息交じりのヴィータの足元に荷物を置くと、頭を一撫でし、なのははその場を後にしました。
 全く皮肉を分かってねーんだからなぁ。
そう言いたげな視線を送っても、気付くのは小さく会釈するフェイト。
本来通じて欲しい相手は知らん顔。
代わりにフェイトが頭を下げたところで、なんの足しにもならない。
面倒な相手の世話を押し付ける、後は頼んだぞ、と念を送れば、ヴィータも頑張ってね、と返事が来る。
これが余裕から来るものではなく、本当に相手を気遣っているのだから手に負えない。
ヴィータは、もうこちらを見ることも無くなった教導官の背中を恨めしげに、さっさと背中を向けてしまうのです。

「お待たせ。じゃあ行こっか、フェイトちゃん」
「う、うん。そうだね」

 いまだ背中向こうに視線を向けるフェイトの手を取り、扉をゆっくりと閉めるのでした。

「雨、まだ降ってるんだ」
「うん。随分弱くなったんだけどね」

 外に出た二人を迎えてくれたのは、少し肌寒さを感じる夜の空気。
フェイトの言う通り、昼とは打って変わって、空気をしっとりと濡らす程度に弱くなっていました。
聞こえてくるのは、どこで鳴っているか分からない、川のせせらぎにも似た雨の音。
空気が動くのに合わせて、霧吹きを吹いたように頬が湿気を感じ、二人の長い髪がその空気を含んで、ジッと重くなるように感じられます。

「あ、そうだ」
「うん? どうしたの、なのは」
「私……傘、"持ってないんだ"。だって、予報では夜には上がるって言ってたから」
「うふふ。"そうじゃないかと"思ったんだ」
「えへへ~。それじゃフェイトちゃん、お世話になりま~す」

 寄り添うなのはを抱きとめるようにして、傘を取り出す。
少し疲れるけれど、左手を真ん中へ寄せれば、別に右手で傘を持つこともない。
昔。学校帰りなんかは荷物があって、どうしても右手で――たまに左手もあったけど――傘を持たざるを得なくて。
教科書やお弁当の入った鞄を、その時だけは恨めしく思って。
なのはから抱きついてくれるのは嬉しいけれど、それでも自分からしてみたいと思ったことは幾度もあった。
今。何年越しかの念願叶って、ぴったりと寄り添うなのはに腕を回すフェイトでした。

「フェイトちゃん。そんなに傘をこっちにしたら、反対側が濡れちゃうよ?」
「良いよ、気にしないで。今日の雨はなんだか冷えそうだから。気をつけないと」
「それはフェイトちゃんだって同じ。もう、大丈夫なんだから」

 言うより先に右手で傘の位置を修正する。
フェイトが自分の心配をしてくれるのは嬉しいに決まってる。
だけど、それはどちらも対等であることが前提なんだから。
甘えるのは好きだけど、甘えっぱなしじゃ駄目だよね。
なのはは抱きしめる左手にも力を込め、二人の間の空気を追い出すかのように、身を寄せるのでした。

「な、なのはぁ!?」
「ほら。こうしたらフェイトちゃんも温かいでしょ?」

 密着度が格段に上がり、ぐぅっと寄った顔を見つめる赤い瞳。
その自分を見つめる瞳の赤さが増したように見えたのは気のせいかしら。
長い睫毛に縁取られた大きな瞳が、パチパチと動揺を示すかのように忙しく。口も酸素を求める魚のように。
その二つの様子は、フェイトの頭の中を何よりも雄弁に語っていました。
うふふ、と思わず笑みが零れる。
見つめたままの瞳が、からかっちゃイヤだよ、と少し怒ってる。
でも、そこまで含めて可愛らしい反応をするフェイトが好きな、なのはでした。

「傘に雨粒の当たる音、全然しないね」
「なのは、好きだったりした?」
「ううん。そうじゃないけど。前と違ったりすんだなって」
「今度、日本から傘、送ってもらおうか? 普通の、なんの変哲もないの」
「う~ん、そこまでしなくて良いかな。だって――」
「だって?」
「こうしてフェイトちゃんと一緒に相合傘するのが重要なんだも~ん」

 またも動揺に身体が大きく揺れ、右へ左へと、傘を差している意味がなくなってしまいます。
揺れた程度で足が出てしまう大きさの、傘。
なのはは気付かなかったのか。それとも敢えて指摘しなかったのか。
フェイトの持ってきた傘は、大人の二人が――それが女性とは言え――入るには少し小さい物でした。
雨に濡れないためには大きな方が良いのですが、それでは"二人でくっ付く"理由がなくなってしまうからです。
ずっと前。
二人がまだ白い制服に身を包んでいた頃。
なのはが積極的に二人ギリギリ入るほどの傘を持ってくることはありましたが、フェイトは今ひとつ踏み込めないでいました。
これもある意味成長の証でしょうか。
フェイトもようやく、自分から積極的に機会を作れるようになったみたいです。
やはり、敢えて指摘しなかったのでしょう。
それは無粋というものです。

「ねぇ、フェイトちゃん」
「どうしたの、なのは」
「こうして。異世界で。日本じゃないどこかでこうしてるなんて、嘘みたいだね」
「……うん、私もそう思う。傘も、何だか土の匂いもしない、少しずつ雰囲気は違うんだけど」
「雨をこうして。傘一つに入っているの。昔のままみたいで――」
「この音も。空気も。隣にいる――なのはも。全部、昔から変わらなくて」
「えへへ。こうすると直ぐに赤くなっちゃうフェイトちゃんも。全~然、変わらないよ~」

 抱きつくのとは反対の手を、傘を持つ手に重ねる。
雨粒が細かいせいか、傘を差しているというのに、その手はすっかり雨に濡れていました。
重ねた手でその冷えた手を温める。昔、そうしたように。
その昔のままに。
フェイトは未だにどぎまぎして、顔を真っ赤にしているようでした。

「これだけ暗いと、しっかり見えないかな」
「な、なにが?」
「そうやって真っ赤になって可愛いフェイトちゃんが~」
「も、もう。からかっちゃイヤだよ……」
「えへへ。また日本に帰りたくなっちゃったなぁ。今度帰るときは天気予報も送ってもらわないとね」

 既に厚く垂れ込めていた雲は少しずつ薄くなり、大きく照らす月がその向こうに透けて見えています。
それでも、月明かりが足元まで届かなくて、ここがミッドチルダであることの現実感を希薄にします。
でもそのお陰か、二人の目の前には懐かしい、海鳴の風景が広がっているようにすら感じました。
数年越しの相合傘は日本ではない、この異世界で。
久しぶりのそれをもたらしてくれた、予報外れのこの雨も、もう直ぐ止んでしまいそうです。
束の間の、相合傘。
それを惜しむように、二人は寄り添って隊舎へ向かうのでした。

 


 
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