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新婚なの! 13-7 (1)

「ヴィータちゃん、昨日は、その……よく眠れた?」

 エプロン姿のなのはが、朝の準備をしながら、様子を尋ねてきた。
 ソファーにぼんやりと腰を下ろしている様子は、心配を誘うものだろうし、昨日の今日だし、何か理由があるのかもしれないけど。
 正直にいえば、首を横に振るところだ。「原因はお前だ」と付け加えた上で。
 けれど、そのときのアタシは、そうはしなかった。当たり前だ。別に、なのはを困らせたい訳じゃないし。
 黙って、少しだけ顎を引いた。

「そ、それなら良いんだけど……え、えっと、今日からね、私――」
「教導に出かけるんだろ? 前から言ってたじゃないか」
「うん、それは……そう、なんだけど」
「気にすんな、今度はミッドの近くなんだろ?」
「ちゃんと、日帰りできる距離だから……」

 アタシの正面からじゃなく、少し外して、視界の端に映るぐらいの位置に立つなのは。
 なにも握る物のない手が、居場所なさげにしていて、アタシの"方を"見ながら、言葉の一つ一つを、おずおずと吐く。
 はっきり言って、その態度は、不愉快以外の何ものでもなかった。
 まるで、腫れ物にでも触るような態度だ。余計に具合が悪くなる。

「……なあ、なのは」
「な、なにかな? ヴィータちゃん」
「今日からってことは、昨日は現地で打ち合わせだったのか、一日中」
「――え?」
「そりゃ、最後の確認だから、念入りにやらなきゃいけないし。そういうもんじゃないのか?」
「う、うん、そうだね、うん。昨日は」

 隠すって事は、それが疚しいことだって分かってるからだ。自覚があるからだ。
 昨日、本局にいた事実すら、なのはにとっては"隠さなきゃいけない"ことなんだ。
 しかも、それを隠すのは今だけじゃない。数日前から、なのははずっと嘘を吐いてたんだ。

「そうか。あのさ、フェイトがこっちに戻ってきてるの、知ってるよな?」
「ええっと……うん、知ってる。けど、時間がなくて、その、だから、会ってないんだ」
「メールや通信ばっかじゃ、フェイトが残念がるぞ。せっかく帰ってきてるっていうのに。まあ、昨日は仕方ねえけどさ」
「そ、そだね。時間を作って、会いに行ければ良かったね」
「ああ。薄情な友人だって思われないようにな」

 別に、確認しただけなのに、自分からすすんで「会ってない」ときた。
 そりゃ、普段から連絡取れといってたのはアタシだから、そう答えたって、なんら不自然なことはないだろう。
 アタシに怒られるだろうから。
 でも、そう考えられるのは一昨日までだ。昨日からじゃ、もう、無理だ。
 なのはは、それほどまでに"フェイトと会っていない"事実を、アタシに念押す。

「ほら、そろそろ準備しないと遅れるぞ。初日から遅刻する訳にはいかないだろ」
「うん、それはそうだけど」
「あのな、なのは。今日からのお前は、気にかけてやらなきゃいけない人間がいるだろう? その調子で大丈夫なのか?」
「……うん、そうだね。そろそろ仕事モードにしておかないとね」
「分かったら、さっさと準備してこい」

 ゆっくりと頷いたなのはは、エプロンを椅子の背にかけ、部屋へ引っ込んでいった。
 昨日の制服を着るんだろう。
 思い出したくもない光景が、蘇る。
 昨日から、何度も脳裏で繰り返されてきた。まるで、壊れたレコーダーみたいに。
 その度に、言いようのない、衝動のようなものが全身を駆け巡るんだけど――
 情けないことに、アタシの身体はその衝動に身を任せることはなかった。いや、出来なかった。だって、身体が全く言うことを聞いてくれないんだ。

「じゃあ、行ってくるね」

 青と白を基調にした制服に身を包み、コートと鞄を持って、なのはが部屋から出てきた。
 トレードマークのサイドテールの位置が、いつもと違う。
 言うか、言うまいか。
 悩んでいる間に、なのはは玄関まで行ってしまう。
 ああ、ダメだ――慌ててソファーから起き上がり、後を追った。

「どうしたの、ヴィータちゃん」
「ちょっと、しゃがめ。良いから、早く」

 コートを着てしまう前に、呼び止めた。
 くるりと振り向いたなのはは、じいっとアタシを見下ろしている。
 表情は……読めない。

「髪、ズレてるぞ。直してやるから、座れ」
「良いよ、ヴィータちゃん。そんな気にしなくて」
「気にするに決まってるだろ、お前がそんな格好で外歩いたら」
「で、でも……」

 はっきりしない。
 変わらず、なのはの態度が嫌だ。
 アタシに嘘吐くなのはが嫌だ。
 そうやって、なのはを避けたい気持ちと同じぐらい、いや、それ以上になのはが離れていく感じが嫌だ。
 腫れ物に触るように、アタシを避けようとする、なのはが嫌だ。

「お前がそんな格好で外歩いたら、嫁のアタシが何してるんだって、そういう話になるだろうが」
「……そ、そかな」
「そうだよ。旦那がよれよれの服着て、髪型が決まってなかったら、笑われるのはアタシなんだぞ」
「……そだね。ヴィータちゃんを、笑い者にするわけにはいかないもんね」
「全く。仕方がないヤツだ」

 観念したように、腰を下ろすなのはのサイドポニーを素早く解いて、髪を整えることにした。
 手櫛で縛っていた部分から解して、絡まないよう気をつける。
 左手で位置を決めて、ゴムを通す。
 なのはの髪は長いから、コレも一苦労なんだけど……今日は、その普段気にしない手間が、腹立たしいような、嬉しいような複雑な気分だった。
 長い髪が、アタシの手を滑っていくだけ、その絡み合った気持ちが募っていく。なのはが近くにいてくれるって、実感できる。
 普段から手入れをしっかりしてる、指通りの良い、艶やかでこしの強い髪は、アタシの功績みたいなもんだ。
 だから、これは――アタシんだ。

「――出来たぞ」
「……うん。ありがとう、ヴィータちゃん」

 立ち上がったなのはは、サイドポニーを触りながら、その位置と感触を確かめている。
 心なしか、表情が緩んだというか――嬉しそうに見えた。今日、初めて見る顔だった。

「どうした? なんか気になるところでもあったか?」
「……」

 アタシをじいっと見つめている。
 瞳が揺れている。何に対してそうなのか、それは分からないけれど。
 口が、なにかを言いたげに、少しだけ開かれている。
 今いま、嬉しそうにしてたはずなのに、目の前のなのはは、何かを吐き出したくて、でもそれが出来ないでいるせいで、苦しんでいるように見えた。
 でも、その口から、なにも吐かれることなく、ぎゅっと力強く結ばれてしまった。

「……ううん。やっぱり、ヴィータちゃんにしてもらわないと、ダメなのかなって。えへへ」
「けっ。よく言う」
「じゃあ、行ってきます、ヴィータちゃん」
「ああ、気をつけてな」

 コートの袖を通し、アタシが結ったサイドポニーを後ろへ流す。
 鞄をアタシから受けとて、なのはは黙って出て行った。
 バタン、と閉じられる玄関ドアが、いつもよりも重く感じられた。
 一人になった途端、部屋の空気が冷たくなった気がした。

「……アタシも出かける準備、しなきゃな」

 なのはの居なくなった家は、気楽なような、それでいてどうしようもなく寂しく、広く感じられた。


 


 勤務開始時間には、充分余裕がある時間だけど、午前の訓練に間に合わせるには、もう少し早く来なくちゃならない。
 到着した頃には、みんなが慌しく更衣室やらに出かけていくところだった。
 それを余裕をもって見送るって……重役出勤ってヤツか?
 バタバタと、慌しい朝の時間帯、すれ違う同じ部隊の連中が、口々にアタシを心配してくれる。
 素直にそれを口にする者や、皮肉混じりな者、軽い挨拶だけの者。
 どれであっても、自分は心配されているんだと思えて、嬉しい反面、情けなくて居た堪れなくなる。
 少なくとも昨日に関しては、とてもじゃないけど理由を説明するどころか、言い訳すら出来ない状況だったから。
 そんな中、一番アタシを居た堪れなくするヤツが、現れた。

「あ、ヴィータ。大丈夫かよ、ちゃんと病院いったのか?」
「おう、ちゃんと行ってるぞ。それに、お前の仕事も手伝ってやってるんだから良いだろ」
「そういう問題じゃねえんだけどな。助かってるのは助かってんだけどさ。なんつーか、こっちとしては色々……」
「お前はアタシの心配するよりも、自分の心配してろ。怠けてるとあっという間に駄目になるぞ」
「へん、ヴィータみたいに訓練好きじゃないんでね! 倒れるなんて、やりすぎだぞ!」

 何を言ってるんだ? と言い返す前に、フーガは駆け足でみんなの後を追っていってしまった。
 口調もそうだったけど、なにより、その走り去る背中が、怒っているように感じられた。もう知るもんか、と言わんばかりに。
 とにかく――凄く、不機嫌だった。
 的外れなことで怒られるのは、やり場のない感情を抱かせてくれる。けれど、追いかけてまで、それを正す元気もなく、通路で立ち尽くしていると、助け舟が横付けしてきた。
 案の定な、助け舟だった。

「あら、おはようございます。昨日の今日で、お休みなされるのかと」
「ああ、お前か。あ、あのさ、昨日のことなんだけど」

 いつも通りの態度に、安心しつつも、直ぐに切り出そうか迷った。
 言うだけは言ったのだけど、やっぱり恥ずかしいというか何というか。だけど、ここまできて辞めるのも、不恰好だ。アタシがなにか言いたいことは明らかだし。
 フーガの口にした言葉の意味やら、他にも尋ねたいことが出てきてしまって、一度に上手く整理しきれないのも、それを手伝っていた。
 ただ、身長差がある分、視線を合わせ難くて、相手の顔を直接見ることはなく、その辺の気まずさはなかったけど、どうにも……困り果てて、胸の辺りを彷徨わせていると、向こうから切り出してくれた。
 珍しく、本当に助かるものを。

「色々と、都合があると思いまして。トレーニングルームで倒れていたことにしましたの」
「……そ、そうだったのか。ええっと、その」
「礼には及びません。こういうのは、個人的に知っておく方が良いのですから。所謂弱みというヤツです。フ、フフフフ……」
「……一瞬でも、お前に感謝しようとしたアタシがバカだったよ」
「いやん、冗談ですわよ」

 いくらでも感謝してくださいまし――軽い調子で、アタシの頭を撫ぜる。
 年上だとか、上官だとか。そういうの、必要以上に口にしたかないし、したことないけど、だからって平然とこういうのは面白くない。
 だから、これが普段なら、ここで怒ってたろうと思う。手を払いのけて、脛の一つでも爪先で蹴飛ばしてやっても良い。
 でも、今日はそういう気がさっぱり怒らなかった。
 寧ろ――安心した。
 なんていうか、落ち着くというか、余計なことを考えなくて良い。
 小さな、それこそ小さな不穏を抱えながらも、変わらぬ平穏があった一昨日までが、帰ってくるようで。

「……ホント、助かった。ありがとな」
「ええ。お役に立てたようで、私も部下冥利に尽きます」
「引き止めて悪かったな、もうみんな行っちまったし」
「足の速さには自信がありますから、お構いなく。それでは、またお昼にお会いしましょう?」
「うん。頑張ってこいよ」

 メンテは深々と頭を下げ、そして、顔を上げたとき。
 アタシの見つめる視線が、なにか寂しげだった。
 哀れみを感じている、とまでは言わないけど、一種類の感情だけじゃない、マーブル模様な色が瞳に宿っていた。真っ黒な目の、その中に。
 詳しいことは読み取れなかったけど、アタシに対して、なにか強く思うところがある。それだけは、確かだった。
 でも、それについて確かめる気もない。なんだか、引きずり込まれそうだったから。
 アタシは、普段より少しだけ急ぎ足のメンテの背中を、黙って見送った。


  ◆


 午前は何と無しに終わってしまった。
 昨日の分は、誰かが片付けておいてくれたみたいで、帰ってきたらお礼を言わなきゃいけないな、と思ったりした。
 けれど、その前にやっておくことがあった。
 こちらの都合とは、必ずしも一致しないけれど、駄目ならまた別の時間にしたら良い。
 なんにせよ、事実を確かめることが重要だから。
 ライブラリを覗きに行く――オフラインなわけじゃないんだし、理由にならない――と言って席を外し、一人で落ち着ける場所へ移動した。
 昨日のことを考えると、どうかなと思う点もあるけれど、その時はその時だ。

「さて。これなら大丈夫だろう」

 個室の許可を取り、ゆったりと越し掛けて、モニタを立ち上げる。
 このアドレスを打ち込むのも久しぶりだ。
 ポチポチと、余り気乗りのしない指が、ゆっくりとタイプしていく。そして、後は通信ボタンを押し込むだけ――そこで、ピタリと止まってしまう。指が、動かない。
 動悸が激しくなる。汗が頭のてっぺんから、くまなく噴出してくるよう。息が浅くなって、口の中がカラカラになる。眩暈感さえ覚え、椅子に座ってる感覚すら、薄い。
 まだ諦めていないなんだろう。昨日の、あの光景が間違いであって欲しい、フェイトが"そんなこと"するはずがない。必死に願っているのか?
 そうやって、何度も自分に言い聞かせないと駄目ってことが、何よりの証拠かもしれない。
 アタシは、全然――

「……なに、言ってんだろうな。アタシは」

 宛も、フェイトがアタシを裏切ったとでも言いたげだ。
 そんなじゃない、フェイトがそんなヤツじゃないって、アタシもよく知ってるはずじゃないか。
 それこそ、裏切りじゃないか。
 親友を、そんな風に……
 自分がバカだと確かめるために、これがアタシの裏切りなのだと確かめるために、指を押し込んだ。
 向こうとの時差が表示され、そのまま呼び出しを続行した。
 どうやら、それほど離れた世界まで足を伸ばしていないらしく、時差は小さかったから。

「――ヴィータ? どうしたの?」

 暫くして、反応があり、画面にフェイトの顔が映し出された。
 どこにでもありそうな、壁の色。
 そこがどこであるか、相手に特定させないインテリア。
 フェイトがそういう目的でないことは、百も承知だと言うのに、感情がそれを覆い隠してしまいそうだった。

「大した用じゃないんだ。時間がないなら、日を改めるな」
「ううん、大丈夫だよ。今は移動中だから」
「移動? 帰ってきてたんじゃないのか」

 一つ、そっと置いてみる。

「……あ、あのね。とんぼ返りって言うか、補給して、すぐに。昨日は、その合間っていうか、その。準備は整ってるから、今は丁度暇なんだ、うん」
「そうか」
「今担当してる事件が、そろそろ最後の詰めっていうか。私はメインじゃないから、帰ってこられたんだけど」
「ふうん」
「あ、昨日ね。はやてにも会ったよ」

 別に、理由自体に不自然な点はない。丁度あのとき、ドッグに泊めて補給を行って、その後直ぐに出発したとなれば、矛盾もないし。
 上手い――そう思うのは、今のアタシだからだ。フェイトは、事実を答えたに過ぎないんだから。
 態度にしみても、この前に話したときと変わらないし、そういうものだと言ってしまえば、そんなもんだしな。

「どうしたの?」
「ああ、なのはが会いたがってたからさ。本局にいたんだろ? スケジュールが合わなかったみたいでよ。あいつも昨日に限って本局にいなかったみたいだし」
「そ、そうなんだ、なのはが……うん」
「最近顔を合わせてなかったみたいだしさ。やっぱり、メールやら通信やらじゃ、味気ないだろ?」
「うん、それは……私も思ってたところだよ。仕事が忙しくなって、みんなと、顔を会わせる機会が少なくなったの」

 フェイトの声に、わずかな動揺が滲んでいた。
 視線は逸らすことなく、アタシを捉えてはいるけれど、その大きな赤い瞳は、何かを言いたそうに揺れて――朝の、なのはと一緒だ。蒼と紅の対照的な瞳が、同じ色を刷いている。
 客観的な判断なのか、完全にアタシの主観――思い込みに近いそれ――なのか。
 それすら、分からない。
 ただ、目の前のフェイトから、正直な感想として、それだけが。

「じゃあ、えっと……なのはは、どうしてる? 忙しいんでしょ?」

 フェイトの繋げた言葉に、眉間に痛みが走ったのが分かった。
 思わず、奥歯を噛み締めたのも、分かった。
 分かりやすい、アタシの顔は、今のをフェイトに伝えてしまっただろうか。

「ああ。忙しいけど充実してるみたいでな、元気そのものだ。生徒が可哀相なほどにな」
「いつも通りみたいだね。これも、ヴィータのお陰かな」
「さあ、どうだろうな」
「そんなことないったら」
「聞いてみたことないし、そんな気になるなら、フェイト、お前が確かめてみろよ」
「い、いいよ、聞かなくたって分かってるから」

 よくも言う――
 何度も泡のように浮かんでは消える、その言葉を飲み込み、フェイトとの会話を続けた。
 奇妙な感じだ。
 この我慢強さと、平然と――昨日までの自分と比べて――フェイトの顔を見つめる自分に、正直驚いた。
 テーブルに拳を叩きつけることも、声を荒げて非難することも、見っとも無く泣き叫ぶことも……なかった自分に。
 こうするかもしれない――思い描いていた自分は、ここにはいなかった。
 そのズレが、奇妙だと、感じさせたのかもしれない。

「引き止めて悪かったな、聞きたいのはそれだけなんだ」
「ううん。ちょうど何もすることがなかったから、気にしないで」
「ホント、優しいなお前は。なのはには勿体無い」
「そんなことないったら」

 どちらを否定したんだろうな。
 八の字の、困った眉が、哀しげな紅を一層引き立てている。小さく開かれた、薄い唇が、常に何かを言いたげにしている。
 これのせいなんだろうか。
 アタシが、思い描いていた自分にならなかった理由は。
 言葉だけじゃない、声だけじゃない。
 目の前のフェイトは、もう、そこにいるだけで、何かをアタシに訴えかけていた。
 それが、アタシを抑えてくれたのかもしれない。
 "今のアタシ"にすら、それを思わせる。
 少なくとも、フェイトを前にして、アタシはなのはのことを――非難する意味で――聞くことは出来なかった。

「……じゃあ、もう切るね」
「ああ、悪かった。時間使わせて」
「ううん、ヴィータならいつでも。私は、気にしないから」
「……なのはにも、そう言っとく」
「――え?」

 その必要は、ないだろうけどな――
 フェイトに聞こえただろうか。
 そんな、ギリギリのタイミングで、通信を切った。
 最後に、フェイトの声が聞こえた気がする。
 その声が、どちらの言葉を受けたものか、それは分からないけれど。
 アイゼンに、フェイトからの通信は受け付けないよう設定して、ライブラリを後にした。
 もう、一秒でもそこにいたくなかった。自分の吐いた息に、つまらない気配を目一杯漂わせた個室に。


  ◆


 その日、夕ご飯をなのはと一緒に摂りながら、今日一日のことを振り返っていた。
 運良く、というべきか、珍しくなのはが黙っていたから。
 えっと、今日の夕ご飯はアタシが作った。定時に上がったし。なのはは随分と疲れて帰ってくるのが、分かってたし。案の定、なのはは疲れて――気疲れがほとんどだけど――帰ってきた。
 そんな、余り元気のないなのはは、夕ご飯のときもそんな様子のまま。時折、なにかを言いかけて、口を開くことはあったけど、それは全てご飯と一緒にお腹の底に引き返していった。
 こういうとき、積極的に話を引き出さないと、大概後で大事になりそうだったりするので、兆候を見逃さないようになってる。
 けれど、今日は渡りに船というか、なのはが喋らないのを良いことに、アタシはそれに気づかない振りをして黙っていた。

「箸がすすんでねーぞ、なのは」
「え? あ、ホント? ちょっと考えごとしてたから、かな。ごめんね」
「謝んなくって良いぞ」
「そう? う、うん。分かった」

 自分のことを棚に上げて、注意したのに、なのはは素直に従った。
 アタシのことに気付いていないのか、なにか後ろめたい事があるのか――
 ……さっきから、こんなことばっかりだ。
 目の前の人間の行動が、全て嫌に感じる。
 その全てに裏があるようで、今目の前にあるものは、取り繕った、若しくはアタシをおちょくっているんじゃないか。そう思えて仕方ない。
 何も信用する気になれなかった。
 特に、なのはとフェイトが。
 本当のところをいえば、この家にいることが、苦痛で仕方なかった。
 この家の存在すら、嘘に思えた。
 だけど、だけどそれより――

「今日は、どうだったんだ」
「え? あ、今日のお仕事の話? ええっと……ん~。特筆することは」
「まだ一日目だもんな。そんなもんか。今度の予定は?」
「一週間ぐらい、とにかく模擬戦をやって、打ち負かして欲しいんだって」

 ホッとして、雰囲気が緩むのが分かる。
 こんな風に、黙って夕ご飯を取ることなんてなかったからな。余計に、緊張を強いられている感じがするんだろう。
 自覚がある分、アタシが話しかけてこないことに。
 だから、仕事の話とはいえ、それを考えなくて良いことは、助かるって感じると思う。それが一瞬でも。
 だったら、自分から話を振ったら良いんだ。下手に黙ってると……いや、薮蛇ってことか。
 分かってるから。どうして、こうなっているのか。

「まだまだ、これからって連中か。ある程度、出来るんだろうけど」
「うん、そうだね。何も出来ないまま、やられちゃうのは、流石に学べないだろうし。私は、ヒントを上げる役なんだから」

 なんだろう?
 なんで、なのはの話を聞いてるんだろう。

「教育する立場の人間は、どうしたって数が足りないな。担当できる人数にも限りがあるし。こればっかりは」
「うん。教導隊はホント、休みが少ないよ。教導に出て行かない人もいるし」
「ん? そうなのか?」
「戦術研究とか、デバイス開発とか、今回の私みたいに模擬戦だけの人とか。多くはないけど、結構いるのかな」
「ふうん、そんなもんなのか」
「あれだよ。プリムさんも、標的役とか、あ、今ね、デバイスの選定トライアルとかしてるんだ。何時間も色んなメニューをこなして」
「へ~。やっぱ教導隊ともなると、それぐらい必要なのか? ちょっと、異常な感じ……あ、いや」

 しまったな、と思ったけど、なのはは無言ながらも、同意してくれたような、そんな気がした。

「私たちのところでは、一番の体力自慢さんなの。私よりとっても凄いんだよ」
「へ、へえ……世の中、広いような狭いよな……」
「今年一杯は、泊り込みでやってるんじゃなかったかなあ。年始に休みたい人もいるだろうし」
「そういう世界の人もいるもんな。会社務めの方が、その辺しっかりしてるかもな」
「そだね」
「でもさ。なんで教導隊なんだ? 別に開発局もあるんだし。いやさ、そういう役割も大切だけどよ」

 なのはは、言い辛そうに、呟いた。

「えっとね……エース級の人でも、そういうの向かない人も多いし。それに、なんて言うか、厄介払い的な扱いの人も、その……」

 言いよどんで、俯き加減のなのはに、少し悪い気がした。確かに、後者に関しては言い辛いだろう。でも、それなら言わなきゃ良いのに。聞いたアタシが言うのも、なんだけどさ。
 うーん。そこから察するに、プリムさんは、その後者に該当するのかもしれない。
 でも、なんていうかさ。一部隊で保持できる戦力は決まっているし、無駄に高ランクの人間は、逆に使いにくいってこともある。
 フェイトやクロノみたいに、オールマイティな人間の方が少ないんだから、それだったら、手数を満遍なく揃えたい。
 好意的に考えれば、"厄介払い"とは、そんなところだろう……多分。

「色々あるんだな、そっちも」

 なのはは、短く、頷いた。

「うん、色々、ね」

 小首を傾げる。
 その仕草と、表情。僅かに区切られた、語尾。
 単に、今の会話に対する答えでは、ない気がした。それ以外に対する意味が、込められているような。
 目の前のなのはに、胸が締め付けられるような想いがした。

「……早く食べろよ、冷めるだろ」
「う、うん、そだね。でも、それだったらヴィータちゃんもだよ」
「アタシは良いんだよ、食欲そんなにねーから」
「あ……うん」

 何か言いかけて、なのはは、その言葉を飲み込んだ。
 明らかに、悔しそうに。
 何かが、なのはにそうさせた。言いたいことを、言えなくした。
 アタシに、何が言いたかったんだろう――?
 急に、食卓の空気が冷たくなった。

「明日も、今日と同じで良いのか?」
「うん、私が一番に準備してないとね、みんな、やる気満々だよ」
「まだ、二日目だからな。いつまで続くか見ものだろ?」
「うふふ、そうだね。なにくそって思わせたら、私の勝ちって感じかな? 反発を得るだけじゃないように、ね」

 風呂も済ませて、寝巻きに着替え、明日の確認をするなのはを横目に、ぼんやりとテレビを見ていた。
 珍しく、映画の専門チャンネルだったようで、新しいのか古いのか、さっぱり分からない作品が、画面に映し出されていた。
 内容はあってないようなもので、変身能力のある捜査官が、その能力を生かして事件を解決するというもの。
 面白くは、ない。
 "魔法"が日常であるアタシ達――仕事柄、そうなるだけで普通の人は違う――にとって、新鮮味があるわけでもない。
 それに、変身能力も魔法で使えるし――禁止されているだけで、使えないわけじゃない――、特異な能力でもなく現実味が足りない。
 それでも、最後まで見た理由は、ただ、テレビに映し出されていたから。それだけ。

「それ、面白かったの?」

 いつの間にか、メニューの確認を終えたなのはが、隣に座っていた。いつもより、少しだけ隙間を空けて。
 今のは、会話の切っ掛けと、思ったのかな。
 そんな、なのはの問いかけに、アタシは黙って首を振った。
 例え、面白かったとしても、同じことをするつもりだった。
 なにかと場を取り持つように、声をかけるチャンスを窺っているようで、その態度が嫌だったから。例え、アタシの思い込みでも。
 正直、"そんななのは"と話したくなかったから。

「そうだよね。なんか荒唐無稽すぎるっていうか、今の世界だと、中途半端なリアルさで、逆に変だよね」

 アタシの目論みは、見事に外れた。
 返事をしないほうが良かったのかな――
 なのはは、尚も話を続ける。

「姿を変えても魔力光とか、変えられないのも多いし、こんな風に忍び込むのも無理だし」
「一般職員なら大丈夫だろ。それか、魔法を使わなけりゃ」
「非魔導師登録でも、バレちゃうと思うよ。ほら、生体認証だったかな、そういうの。事前に調べられるし」
「う~ん……そうだな。そんなのを誤魔化せるヤツがいれば、話も別だろうけど……」
「レアスキルになっちゃうよね、きっと」
「ああ、レアスキルか。それならどうしようもねえな。アタシは知らないけど」

 なのはは、ソファーに腰掛はしたけど、視線も合わせず、話だけは続けた。前なら、嫌でも抱きついてきたりしたくせに。
 そしてアタシは、そんなことを考えながら、なのはに話を合わせた。
 頭の中と、胸のうちが別の反応を示している。
 嫌だと、不快感を覚えている頭に対して、凹凸の少ない胸は、きゅーっと締め付けられるような、そんな痛さを覚えていた。
 どっちにしても、なのはと喋っていて、忌避感はある。
 なのに、胸の痛みが、アタシの口を、その意識に反して滑らかにしていた。

「さて。映画も終わったし、寝るぞ。早寝、早起きだ」
「うん。じゃあ、お休み、だね」

 明かりを落として、空調を予約して、二人して寝室に引っ込んだ。
 いつも通り、なのはが先にベッドに潜り込み、アタシはぐるっと回り込んで、反対側から潜り込む。
 元々アタシの家なのに、なんで家主の方が不便しなきゃいけないんだ。
 今更な疑問を抱えながら、枕に頭を乗せ、目を瞑った。
 暗闇に目が慣れないうちに、見飽きた天井の模様を確認しないまま、目を瞑るのは久しぶりだった。


  


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