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新婚なの! 13-9

 ジャングルの上をいくらか飛び、AMFの濃度が一定以上になる手前で降りた。
 下手をすれば、急に飛行魔法が使えなくなって、地面にご挨拶する羽目に遭うことも考えられるし、前回は遭わなかった、大型の鳥類なんかも確認されてるというから。制御の怪しいってのは、避けたい。
 慎重に足を進め、この辺りはまだ影響が薄いようだと確認したところで、アタシたちは飛行魔法で移動することにした。それでも、なるべく低く飛ぶのだけど。
 視界は狭くなるけど、高く飛べば、それだけ相手の目に付き易くなる。
 そんなことで、余計な時間はとられたくない。

「ヴィータ、どう?」
「ああ、何となく引っ張られる感覚はある。頭の端が、ピリピリするっていうか。どういう仕組みか分かんねえけど」
「最後に位置を確認出来たところと、その方向を照らし合わせて……バルディッシュ、お願いね」
「頼む、フェイト」

 本当に、前と雰囲気が違う。
 ジャングル全体が吠えているように震えていて、ざわめきなんてものじゃなかった。咽るような暑さ、圧迫感、その他にも感じていたものが、段違いの強さで襲い掛かってくる。
 この辺りは、まだ魔力素が濃いだけなのに……若しかして、それすら制御してるってんじゃないだろうな。
 ただ、この震えるような感覚の原因は分かってる。ここに潜伏してたという連中が、何かしらの方法で、動物たちを暴れさせてるんだ。
 普通にしてても、厄介だっていうのに、意図的に襲ってくるんじゃ……戦う前に、プレッシャーでやられちまう。
 そこら中で、海の武装隊員がやりあっているんだろうか。
 なんにせよ、一刻も早く、なのはのところに行かなきゃならねーことには、代わりねえ。

「思ったより明るいな、この中は」
「もう少しで完全に日が暮れるっていうのに……地面全体が、光ってるみたい。何もなければ、綺麗な光景なのにね」
「前に来たときは、そんなことなかったぞ。ちゃんと日が暮れりゃ、暗くなった」
「ふうむ、明るいは構わんが……」

 薄暗くはあったけど、外の明るさに比べれば、寧ろ明るいぐらいだった。
 地面が、ぼんやりと光を放っている。
 観光にでも来てるんだったら、それこそフェイトの言う通りなんだろうけど、今はそんな気も起きないっていうか、逆に不気味なぐらいだ。はっきりいって、気味が悪い。
 いかにも、異常なことが起きてるって感じがして。

「ヴィータ、右!」
「お、おう!」

 フェイトの反応が一瞬、早かった。
 言われたとおり、右の背の高い草むら――と言いかねる。正直林みたいに大きい――から、豹柄のヤツが飛び出してくる。前より、一回り以上大きい個体だ。
 軽くいなして、後頭部に軽めの一撃を見舞う。
 突っ込む勢いと合わさって、数メートル先の木の根元に激突する。
 大きな振動と悲鳴とは言いがたい声を、横目で確認しつつ、足は止めなかった。舌を出してぐったりしているようだったし、上手く、気絶させられたと思う。
 してなけりゃ不味いけど、だからって、一匹一匹には構ってられないんだ。

「かなりのガタイだったな。それに似合わない素早さもある。あれでどのくらいなんだ?」
「同じ種類のヤツなら、かなりデカイ。でも、アタシが見た中で一番デカイやつは、あれの何倍もある」
「しかもね。体毛や外皮は堅いし、魔力への耐性が高いから、生半可な魔法は通じないよ」
「……厄介だな、それは」
「ミッド式はとにかく不利だ、アタシ等ベルカ式でも半端なのは通じねえ」
「ふむ……それが数十匹もウロウロしているわけか」

 立ち止まることなく、情報交換する。
 事前に示し合わせてあったのに、初っ端から、それを無しにしちまうようなヤツが出てくるんだから、堪ったもんじゃない。
 今の一回で、事情が飲み込めたんだろう。後ろを飛ぶシグナムの気配が、引き締まるのが分かる。
 ピンと張り巡らされたシグナムの気配が、アタシには心地よい。
 慣れた感覚でもあるし、やっぱり頼りになるなって、思わされる。

「うおっ!? こ、こいつ!」
「ヴィータ! くっ、こっちも!?」

 空を覆うように腕を広げる大木から降って来た、灰色の塊を受け流しそこなる。
 思わず受け止めてしまった。
 隣で、フェイトも二匹を同時に相手にしているのが見えた。
 なんとか、シールドが間に合うけれど、中位――それでも腕だけでアタシぐらいある――の角野郎の爪は、溶かすようにして侵入してくる。
 バリアブレイクと全く違うアプローチに、なす術がない。
 重さもあるだろうか、それ以上に、何か引っ張られるように地面が近づいてくる。

「くそっった――シグナム!?」

 意識の端にあった、フェイトの気配をすり抜け、シグナムのレヴァンティンが、鋭い輝きと共に角野郎のわき腹に食い込む。
 痛みに、真っ赤な口が大きく開かれるが、それで相手が怯む様子はない。しかし、シグナムの一撃に、その巨体が一瞬、ふわりと浮き上がった。
 そのチャンスを見逃すようなシグナムじゃない。
 短く、強く吐かれた息を合図にシールドを解くと、魔力を込めた蹴りが、首の根元に叩き込まれる。
 今度は、悲鳴のような唸り声とともに、角野郎はアタシの視界から消え去った。

「あ、あんがとな、シグナム」
「ふむ、なるほどな。これは思ったより調節が難しい。今の一撃が効かないとは思わなかったぞ」
「大丈夫、ヴィータ? 完全に捉えられてたけど……」
「ああ、大丈夫だ。相手だって普通じゃねーんだし、上手くいかねーって。お前こそ、大丈夫だったのか? 薄いんだし、気をつけろよ」
「うん。ちょっとだけ、慣性制御に戸惑ったけど、平気。……じゃあ、急ごう」

 足を止めてしまった。フェイトに押されて、スピードを上げる。遅れた分を、取り戻さないとな。
 んでも、アタシとシグナムのやり取りの意味、フェイトは気付いただろうか。……いや、今はそんなこと気にしてる場合じゃない。
 今は兎に角、一秒でも早くなのはのところに行かなきゃいけねーんだから。

「シールドを侵食する感触……気持ち悪ぃな。前は、食い込むだけだったのによ。明らかに、力が上がってる」
「私たちでそれか。それは厄介だな」
「元々、特殊な環境で進化した子たちに、人の手が加えられてるんだから……ちょっと、分が悪いかな」
「AMF下での運用を想定していたとすれば……それどころでは、済まんぞ」
「……ちっ」

 嫌な考えが、頭をもたげる。
 フェイトとシグナムの声が、それを後押しするようで、思わず舌打ちをしてしまう。

「ヴィータ、頭を低くしろ。だんだんと高度が上がっているぞ」
「分かってるよ、んなことた」

 言われて気付く。
 辺りに注意を払いながら、高度を下げる。
 まだ全然動いてないっていうのに、息が上がっていた。心臓も、やたらとドキドキいってる。
 なんだ、こんなに負担が掛かってるのか?
 フェイトもシグナムも、まだ何ともないっていうのに。くそっ、体調が悪いとか言ってられねーんだよ。
 こんなじゃ、なのはのところに辿り着けねーじゃねえか!

「がぁっ! くっそ!」
「ちっ、こちらもか!」
「今行く!」

 高度を下げて間もなく、アタシは角野郎、シグナムには豹柄のヤツが飛び掛るのが見えた。
 相手の気配を読みきれない。ジャングル全体が五月蝿すぎて、その中に紛れてるのかもしれなかった。いや、それ以上に探知も上手く働いてなくて、結果、さっきから後手後手になっている。
 何とか一匹目はいなすことが出来たけど、影のように寄り添った二匹目に、がっちり取り付かれた。
 弾くはずのシールドに爪が食い込んで距離を取れない、空中で釘付けにされちまう。
 唯一難を逃れたフェイトが、ハーケンセイバーを一撃、シグナムの下へ放つ。そのまま、カートリッジを一回ロード。返す手で間をおかずに、二発目を、アタシに食らいつくヤツのわき腹に噛み付かせた。
 よろめき、悲鳴を上げる獣。
 その隙にシールドを足場に距離を取り、後頭部に一撃を見舞って、地面に叩きつける。
 シグナムも既に、豹柄を蹴り飛ばしているのが見えた。

「た、助かった、フェイト」
「この感触。確かに、気持ちの良いものではないな。しかも、二匹一組か。ふん、よくやる」
「そんな悠長なこと、言ってる場合かよ。ったく」
「このマント、余り役に立ってないのかも……どうしよう、もう通信が届かない」
「いや、コレが無きゃ間に合わなかった時、一気に抜かれるかもしんねえ。あって越したことはねーよ」
「そうだね、うん」

 気を取り直す。
 しかし、この遭遇率の高さはなんだ。
 前に来た時より、数が増えてるのかもしんねーけど、それにしたって。
 しかも、強化されているのか、身体に魔力を乗せての攻撃が上手くなってる。若しかして、気配が読めないのも、関係してるのか?
 フェイトのハーケンが効くのが分かったけど、今の状況じゃ、ないよりマシって程度なのが悔しい。
 状況は、悪くなるばっかりだ。

「ヴィータ。なにを考えている。悪い癖が出ているぞ」
「うっせー! どうしたって、考えちまうだろ」
「身体を動かしていれば、余計なことなど考えずに済む」
「お前みてえに、割り切れねえよ……!」

 耳に口を寄せてくるシグナム。
 大声も上げられないし、念話も上手くいくか分からない今、それが一番確実だ。
 シグナムの、感情を押し殺したような声が、苛立たしい。
 こっちが、上手く感情をコントロール出来ないでいるのを、見せ付けられるようで。
 逆恨みだってのは、分かってんだけど……くそう!

「二人とも、頭を下げて! こっちにどんどん寄ってきちゃう!」
「いや、その方が良いかもしれん。この際、私たちで全てを相手にするぐらいでないと、被害は増えるばかりだ」
「若しそうだとしても、なのはとの距離はあるんだから、もう少し後のほうが……!」
「先に乗り込んだ連中のことも、考えろ。少しでも、相手の注意を逸らす必要もある。強い相手を避けていると言うならば、話は別だがな」

 魔導師の相手だけじゃない。こっちの獣にまで詰められれば、アタシたちは圧倒的に不利だ。ここは、相手の本拠地なんだから。
 他の連中のことも考えるなら、獣連中だけでも、その注意をアタシ達に向けられれば、それだけ助かるヤツも出てくる。
 シグナムの言い分は正しいかもしれない。
 なのははもう、数時間も前に乗り込んでるんだ。奥深くに。
 位置も遠いし、フェイトの言う通りかもしんねーけど、やらないよりはマシか? 上手くいけば、他のヤツらが、なのはを見つけてくれるかもしんねえし。

「ヴィータ、その役目は私に任せろ。お前とテスタロッサは、とにかくなのはの所へ行くことだけを考えろ」
「だ、だけどよ!」
「今のお前は、どうも本調子には見えん。なのはのことで焦っていることを差し引いてもな」
「くっ……!」
「私を信用しろ、ヴィータ。これでも、ヴォルケンリッターの将だ。獣ごときに、遅れを取るわけがなかろう?」

 返事をするまでもなく、シグナムに頭を抑えられてしまう。
 何か言ってやろうにも、シグナムの言う通りだ。
 悔しいけど、反論できない。
 自分の状態のことも、そして、シグナムの実力のことも。

「……良いのか、シグナム」
「人の好意は黙って受け取るものだ。なに、見返りに、お前の嫁を寄越せというわけでもない」
「嫁はアタシだ」
「ふ、ふふふ。そんなことを気にする余裕があれば大丈夫だ、ヴィータ」
「けっ、言ってろ」

 後ろでフェイトが笑ってるのが聞こえる。
 ホントに悔しい。
 フェイトも、シグナムも。自分を抑えて、状況を把握して、良しと思える選択をしようと必死になってる。
 それなのに、一番そうしなきゃいけないアタシが、一番テンパってる。
 情けなくて仕方ない……!

「焦る姿も新鮮でいいものだ。お前は最近、どうにも落ち着いてしまったからな。そう思わんか、テスタロッサ」
「シグナム、今はそんなこと言ってる場合じゃ」
「いい、フェイト。今のはアタシが悪い」
「仕方ないよ。私だって、上手く出来るかどうか」
「テスタロッサ、そこはウソでも余裕を見せるものだぞ?」

 振り返ると、フェイトの額には、大粒の汗が浮かんでいた。
 よく見ると、シグナムも珍しく汗をかいている。
 アタシだけじゃない。
 なのはを心配なのは、アタシだけじゃないんだ。

「……悪い、なのはのとこまでサポート頼む」
「ふん、初めからそう言っているだろう。ヴィータ、とにかく今はなのはのことだけを考えろ」
「一緒に居る局員の人たちは、私が頑張るから、ヴィータ」
「ああ、頼む……!」

 この二人がついてくれてるんだ、大抵のことは何とかなる。
 いや、何とかしてくれる。
 家族を、親友を信じなくて、誰を信じるっていうんだ。
 大丈夫、大丈夫。
 息は浅いし、心臓がうるさいけど、まだ自分を抑えられる。
 飛び出していきたくなる自分を必死に抑えて、アタシは、シグナムの下で、なのはの元へ急いだ。


  *


「高町教導官、終わりました。私たちを入れて十名です」
「お疲れ様。みんな、奥に隠れてて。良いですね?」

 陸の武装局員の三人が、浅く頭を下げて、踵を返す。
 水を被ったように汗を浮かべた顔は、まるで人形のように、色を失っている。視線も定まっていない。正直、今も言葉を交わせたことが、不思議なぐらい。
 管理局のバリアジャケットも、所々に破損して、生々しい爪あとが残り、そこから赤々とした傷が覗いている。そんな状態でも、ここに居る人たちの中では、マシだった。動ける元気があるだけ。
 三人が、仲間のところへ戻ったのを見て、私は声を上げた。
 出来るだけ、凛々しく。力強く。

「負傷者は奥へ、仲間の遺体も一緒に。動ける子は前にいて、形だけで構いません」

 私の声に頷き、ゆっくりと動き始める。
 なるべく、不安を与えるような言動は避けたいけど。せめて、声の調子ぐらいはそうしたい。現状じゃ、何の足しにもならないだろうけど、私がそんな態度を見せるわけにもいかない。
 もっと経験のある人たちなら、厳しく、叱り飛ばすなり、励ます方法もあるんだろうけど……どうすべきなのか、判断できなかった。なにせ、日が浅くて、信頼もなにも、あったものじゃないし。
 教導官として、失格だね――
 そんな自嘲な言葉も漏れそうになるけど、決して態度に出すわけにはいかなかった。

「……半分、助かったのは……運が良かったのかな」

 全員が、ビルほどもある大木の股の奥へ、身を隠したのを確認して、一人呟く。
 死体袋は三つだけだけど、一つ一つの大きさ、重さはひどくバラバラ。それは、五体満足な亡骸が、一つとしてない事を現していた。
 四人分は、その場に置いてきてしまい、その他六人は逸れてしまって、安否が分からない。
 私が追いついたところで、WAS――ワイドエリアサーチ――を置いてはきたけれど、この辺りはAMFの濃度が高いらしくて、思ったようにいかない。もっと、よく練っておかないと駄目みたいだ。
 もう、四時間以上は経ってる。日も落ちてくる頃だ。そろそろ、辺りも暗くなるはず。
 今は、なんとか明かりがあるけど。このまま、ここから動けなければ、一分一秒、望みが薄くなって――

「――!? そこっ!」

 草むらに隠れて、こちらを窺っていた獣に対し、先制攻撃。
 アクセルシューターを二発。時間差で打ち込むことで、上手く二匹とも飛び出してきてくれた。
 チャージ……間に合う。
 着地の瞬間をねらって、ショートバスターを撃ち込み、一気に吹き飛ばした。
 魔力に対して抵抗力があるから、受け止めてくれる分、飛ばしやすい。怪我の功名、なのかな……

「毎度、ああやって二匹固まってくれると、有難いんだけど。そうも、言ってられないよね……」

 愚痴を零しつつ、辺りに意識を広げても、なにも引っかからない。
 ホッと、一息。
 すぐさま、レイジングハートにサーチの結果を尋ねるけど、依然として返事は同じだった。
 バカみたい。
 もし誰かを見つけたのなら、私が聞かなくたって、タイミングを見計らって教えてくれるのに。
 変なの。何度も問い合わせたりして、ヴィータちゃんからメールの返事、待ってるんじゃないんだから……

「ああ、そうだ。大切な話って、なんだったのかな」

 ヴィータちゃんからのメールだ~って、ウキウキしながらモニタを立ち上げるの。そしたら、文面は、いつにも増して素っ気無くて、そこから何かを読み取るのは難しかった。ううん、読み取れなかった。
 本当に、書いてある通り「話したいことがある」ってことだけ。若しかして、それだけだったのかもしれない。裏も表もなくて、それだけ。
 だとしたら、きっと、重要な話なんだ。予め、話があるってことを伝えるぐらいなんだから。
 なんだろう、重要な話って。
 若しかして、あれかな。愛想、尽かされちゃったのかな。
 今思えば、私がフェイトちゃんと会ってたとき、どうしてかヴィータちゃんの機嫌、悪かったし。
 内緒にしてたの、やっぱり怒ってたのかな……

「結構、短かったかも……お母さんとお父さんに、なんて言おうかな」

 幸い、お祝いを貰ったって話は聞いてないから――海鳴では、私のこと伏せてるだろうし――、そっちの心配は要らないだろうけど、騒がせた分は、怒られちゃうよね。
 あーあ。
 これから、どうしよう?
 流石に出て行かなくちゃいけないし、そうすると、新しく住むところも探さなきゃいけないし、あ、そうだ。住所変更もしなくちゃ。
 引っ越すの大変だなあ。前は時間掛けた上に、手伝ってもらったから、全然楽ちんだったし。
 そうだ。その前に、役所にいって、離婚届出さないといけないよね。それから、局にも出しておかないと。色々手当てのこととかあるみたいだし。
 そうそう。結婚指輪、どうしよう――

「…………こんなこと、心配してる場合じゃないよね」

 森の状況は変わらない。
 ここに住んでる動物が襲ってくるの、今は納まってるけど、WASが探知する数は減るどころか、まだまだ増えそうな雰囲気。
 今日も訓練のつもりだったから、カートリッジのマガジンも予備が一つしかなくて、まさに、今使ってるのがそれ。
 いざってことを考えると、とてもじゃないけど、足りない。
 せめて、もう一つあれば……

「とにかく、今はどんな形でも生きて帰ることを考えてないと!」

 それでも、全く駄目なわけじゃない。ショートバスターが効くうちなら、それを使ってもそんなに負担にはならないはず。
 一番の山は越えたはずだし、この調子なら、なんとか耐えられる。
 この間の合同訓練のレポート。身体に随分負担がかかるのは、通常よりも、魔力の結合を強めるために無理をしているからって読んだ。今は、それよりもっと厳しい状況だけど、それで死んだりする訳じゃない。
 すごく、すごく痛いだけだから。だから……大丈夫。

「こんな風に長時間使ったことはないけど、抑えれば……大丈夫。うん」

 全身に、満遍なく魔力を行き渡らせ、内部で循環させる――そんなイメージ。
 流石に、ブラスターモードほどの効果は得られないけど、長時間運用するためには、仕方ない。
 こんなギリギリのバランス、どのくらい続けられるか自信ないけど、そんな問題じゃない。やるしかないんだから。
 じりじりと、胸の奥が熱くなるのが分かる。
 少しずつ、少しずつ圧を上げて、外へ漏らさないよう、細心の注意を払って――

「ラウンドガーダー、お願いね」

 負傷者もいるし、少しでも回復させておかなきゃいけない。
 随分前に、ユーノ君に教えてもらって以来、ちっとも使うチャンスがなかったけど、やっと役に立てることが出来た。
 大木の根元が、淡い桜色に染まる。
 仲間の死を初めて目の当たりにした彼ら。極度の緊張を強いられ、このままじゃ何をするか分からない。少しでも安心させないと。
 この経験を、次に生かすチャンスすらなくなってしまう。

「……大丈夫。みんなのこと、誰かが助けに来てくれるから」

 もう一度、辺りに意識を広げる。
 大丈夫、大丈夫。
 今の私は、責任ある立場なんだから。
 誰も、泣きついたり出来る人、いないから……


  *


「くそったれが、邪魔すんな!」

 グラーフアイゼンが、スチールウールの、もっとゴワゴワしたみたいな体毛に阻まれながらも、わき腹に食い込む。
 灰色の獣は、耳をつんざくような悲鳴を上げ、きりもみしながら、背の高い草むらの向こうに消えていった。
 シグナムもフェイトも、同じようにしている。
 もう、何度こうしたか知れない。数えるのも面倒だ。

「はあ、はあ、はあ……ったく、幾らなんでも多すぎだろ」
「テスタロッサ。悪く言うつもりはないが、お前達の見立て、あっている気がせんぞ」
「……うん、ごめん。どうしよう、この情報、外に届かない……」
「良いよ、そんなの。全部アタシ達の方に寄ってきてるんだろ? そんだけ、他の連中が助かってるってことだ」
「その意気だ、ヴィータ。いくぞ、テスタロッサ」

 シグナムは、有言実行とばかりに、一足先に飛び出す。アタシとフェイトは、なのはの位置を予測しながら、後を追った。
 相手の数が多すぎて、足を止める回数も多くなってきた。
 原因はそれだけじゃない。AMFの濃度もどんどん濃くなっていくのが、分かるほどの、手ごたえの変化。奥へ進むにつれてこれだ。最深部は、一体どうなっているのか、考えるのも嫌になる。
 それに加え、自分達以外の状況が、全く分からない。それらが相まって、足元の覚束ない平常心を、チリチリと焦がしていく。
 アタシ達より先に放り込まれた陸の局員に、海の局員、どうなってるんだろうか。
 なのはまでの距離は、後どのくらいだろうか。
 なのはは、怪我をしてないだろうか。
 なのはは、無茶をしてないだろうか。
 なのはは――泣いてないだろうか。
 今まで、フェイトの前だけで、見せていただろう表情――かお――を、してないだろうか。
 そう考えるだけで、身体が沸騰しそうになる。
 体力も魔力も温存しておかなきゃ、いけないってのに、それを抑えるのに余計な神経を使う。
 考えなしに突っ込めりゃ、楽なのによ――!

「ヴィータ。ほら、こっちきて」
「な、なんだよフェイト! いきなり手ぇ握んなって」

 並んだフェイトは、突然手を握ると、そっと顔を寄せてきた。

「駄目だよ、一人で全部やろうとしちゃ。もう、悪い癖なんだから」
「そ、そんなこと……ねーって。今回ばっかりは、流石に無理だからよ。分かるだろ?」
「そういうとこ、なのはと一緒だよね。絶対に"無理してないもん"って言うんだから。それで、安心させられると思ってる」
「な、なのはなんかと一緒にすんな。まるで、アタシが考えなしみたいじゃねーか」
「ふふふ。そんなこと、思ってないくせに」

 切羽詰る中、やんわりと微笑むフェイトの紅い瞳が、嫌なことを思い出させる。
 胸があわ立つ。愛機を握る手に、更に力が入る。

「い、痛いったら、ヴィータ」
「お、おう。悪い」

 繋いでいたフェイトの白い手が、真っ赤になっていて、慌てて力を緩めようとした。そこで初めて、手が痺れるほどに、グラーフアイゼンを握り締めてたことに気付いた。
 身体が、ガチガチになってる。反応が遅かったのは、これも関係してたのか――?
 力を入れすぎてちゃ、思ったように振り出せないなんて、そんな基本的なことすら、綺麗に頭から消えていた。

「――お願いだよ、ヴィータ」

 フェイトの細い指が、アタシの指の間をすり抜けていく。
 ホッとしたような、まだなにか言いたそうな複雑な顔をしていたけれど、なにも言わずに、アタシの後ろに回った。
 シグナム、アタシ、フェイトという順番になって、大木の枝や、背の高い草なんかからの距離を保ちつつ、その合間を縫うように飛ぶ。
 そろそろ、前にアタシが来たときの北限を越える。この先も同じか、若しくは更に状況は悪くなるのか。さっぱり見えてこない。
 でも、はっきりしていることが、一つ。この向こうには、なのはがいる。
 アタシにとっては、それ以上に大切で、重要なことなんてない。
 それを阻むものは、全部ぶっ飛ばせば良いだけだ。今は、フェイトもシグナムもいる。誰が止められるっていうんだ。

「――!? なのはだ!」
「ヴィータ、どうしたの? なのはの反応があったの?」
「ああ! 今、すげー強い惹きがあった……近くに、なのはがいるかもしんねえ!」
「どうだ、テスタロッサ。私には分からん」
「わ、私にも……バルディッシュも分からないって」
「でも、確かによ!」

 強い引力を感じた。
 思考が、意識がぐいっと、強引に持っていかれるというか、今までに感じたことのないような力。どうしようもないほどの、引(惹)力。
 確かにそれを感じたってのに、辺りを確かめている間に、その引力は嘘のように霧散してしまった。必死に周囲に意識を張り巡らせるけど、さっきの強引さの欠片も感じられない。
 ちくしょう、どうなってるんだ!?
 フェイトもシグナムは、分からないという。二人が間違ってるとは思わない。
 でも、確かに惹っ張られたんだ!

「ヴィータ、いこう。留まっていられないよ」
「嘘は言ってねえ! もうちょっと待ってくれ!」
「――テスタロッサ、こい!」
「うおおいっ!?」

 シグナムの声が早いか、フェイトはアタシを抱きかかえると、シグナムと背中合わせにピタリと立つと、ピンと空気を張り詰めさせた。
 何のことかと思っているアタシの視界には、輝く刀身を高く構え、レヴァンティンを薙ぐシグナムの姿が見えた。

「あっという間に詰められるとはな。ここは、一気に抜けるしかあるまい」
「いくら?」
「お前なら隙を縫っていけるだろう。背中は任せてくれ」
「おい、シグナム!」

 シグナムを中心として、レヴァンティンの連結刃が、辺り構わず薙ぎ払っていく。
 背の高い草むら、ビルほどの大木、それが朽ちて横たわったもの、土管のように太い枝に、見上げるような岩。伸びた切っ先は、自らの意思に因るかのように、それらの中を縦横無尽に駆け巡り、次々と辺りの気配に襲い掛かる。
 物を砕く音、倒れ巻き上がる土煙、遠ざかる気配。
 レヴァンティンは、周囲から、アタシ達の姿をすっかり隠してくれた。

「気をつけてね」
「お前の心配性も相変わらずだな。なあに、心配には及ばん」
「嘘は嫌だからね、シグナム」
「さっさと行け。のんびりしていると次の連中が来るぞ」

 モノを砕く音、倒れ地面を伝わる振動。その合間に、獣の唸り声が遠くに聞こえる。連中は、距離を取っているようだ。
 連結刃がシグナムの意思に従って、レヴァンティンの柄に戻り始めた。大きく伸び、戻りながら土煙を上げ続ける。ここでもまた、アタシ達を守るように。
 フェイトは、アタシを抱きかかえたまま、その連結刃の間を、一番気配の薄い方へ飛び出した。

「お前のことなんて、待たねーからな!」
「当たり前だ。私の方が足は速いのだぞ、そんなことも忘れたのか」
「うっせー!」

 去り際の会話もそんなモノ。
 ヴォルケンリッターが、ちょっと手を加えられたぐらいの獣なんかに、遅れをとるものかってんだ――そう思いたいってのが、正直なところ。今は、シグナムの心配をしてる余裕がない。
 でも、アタシはシグナムのために流す涙なんて、1ccも持ち合わせてないんだし、シグナムだって、そんなつもりは、1gだって持ってないだろう。
 だから、今は信じることぐらいしか、出来なかった。

「ヴィータ。今の反応、一寸相談なんだけど」
「なにさ。あと、もう離してくれ」
「あ、ごめん。それでね、話って言うの、さっきの反応のことなんだけど。なのはの砲撃なんじゃないかな」
「それが、ここまで届いたって?」

 その疑問に対する、アタシの答えに、フェイトはゆっくりと頷いた。

「じゃあ、この環境下で、探知の範囲外から届く砲撃――それって!」

 フェイトは、しっかりと頷いた。
 その状況下で、砲撃に使った魔力の残滓を感知できるってことは、それだけ、強力な一撃だったということ。
 ディバインバスターだろうか。いや、使った魔法の種類は問題じゃない。それだけ強力な砲撃を、使わなくちゃいけない状況になのはがいるっていうこと。
 そして、この状況下で、強力な砲撃の残滓が、目いっぱい遠くまで届くような、強力な砲撃をするには、カートリッジの複数使用、若しくは――

「ブラスターシステムか!?」
「分からない。ただ、長時間耐えなきゃいけない状況で、使えないと思う。あれは、長時間使用することを想定してないし」
「そう願うしかねえ……この状況でブラスターシステムは使わせられねえ。ただでさえ、異常に負荷がかかるってんだからさ」
「でも、時間が時間だし、カートリッジは使い切っちゃってる可能性が。だとすると……」
「コレ以上、なのはを一人にしておく訳にはいかねえ……!」

 寒気がした。思わず、"あのとき"のことが、脳裏に浮かび上がってくる。
 今までとは違う、衝動が湧き上がる。これ以上、なのはを一人にしておいたら、どうなるのか。確信に近いものが、脳裏をかすめる。無理をした、その先にあるのもの――焼き付いたそれが、意識を占める。
 もう、周囲に構ってなんていられなかった。頭を低くしてちゃ、思うように動けねえ。
 とにかく、一秒でも早く、なのはのところへ行きたかった、いや、行かなくちゃならなかった。
 詰まらない意地張って、なのはをちゃんと見てやることが出来なかった。フェイトは言ってくれるけど、アタシの愚鈍さが、どれだけ泣かせて来たのか――それを考えるだけで、堪らない。
 そして、そのせいで、また、あのときの涙を流させるなんて、勘弁だ。
 そんで辿り着いたら、なのはがどう言おうとも、洗いざらい喋らせて、絶対に離してやんねーんだ。
 今度こそ、アタシは約束を守らなきゃいけない。
 いや、そんなの無くたって、なのはを守ってやるんだ。
 なのはが、アタシを大切に想ってくれてるのと、同じように、アタシだって――!


  *


「い、今のは危なかったね。RH」

 地面は抉れ、木々はなぎ倒され、焦げ臭い煙が立ち上る――目の前には、砲撃の後が生々しく残る。
 それらが徐々に納まっていくと、地面が、ぼんやりと緑色に光る幻想的な光景を取り戻し、その中を、私の桜色の魔力の残滓が舞っては消えていった。
 自分が置かれた状況を、忘れてしまうような光景を前に、一人、呟く。
 レイジングハートは、珍しく素っ気無い返事。
 そうするのも、仕方ないかもしれない。
 でも、小言を言われないだけマシかも。そういえば、レイジングハートのお小言、最後に聞いたのいつかな。
 最近はずーっと、ヴィータちゃんとフェイトちゃんが、代わりをしててくれたから。

「こんなこと、してたら……また、怒られちゃうかも。ふふ――ぐっ」

 未だに、ヴィータちゃんが目をこーんなに吊り上げて、私を怒る様子を思い浮かべてしまう。
 もう、怒ってくれないのにね。
 自嘲気味な笑みが零れそうなとき、胸の奥が、太い釘を刺したように痛んだ。
 鼓動にあわせて、ジクジクと痛みが広がっていき、一瞬、その痛みに支配されそうになる。嫌な、嫌な記憶を呼び起こす、近く感じてなかった痛みに。
 でも、知らない痛みじゃない。付き合い方も、知ってる。

「見てなかったよね、誰も。こんな顔見せたら、不安にさせちゃう……」

 振り返りはしない。
 私は毅然として、敵に立ちはだかってなくちゃいけないから。私は、あの子たちの壁なんだから。
 レイジングハートを、杖の代わりにも出来ない。
 しっかりと前に構えて、だけど、少しの余裕を感じさせるように。

「ここまで、流石に誰も来られないのかな……私たち、連絡取れないの伝わってるよね?」

 独り言のような言葉を、レイジングハートは肯定してくれた。
 みんなの話を聞く限り、海との合同作戦だって言うんだから、その内の一つが連絡を絶てば、絶対に分かるはず。若しかして、このジャングル全部に通信妨害が? だとしたら、分からないかも。
 でも、フェイトちゃんも、一連の作戦に関わってるって聞いてるし――

「ホント、嫌な子だな、私。"あのとき"から全然変わってない」

 ヴィータちゃんが、駄目だって言ってくれたのに――
 あのときから、ずっと甘えっぱなしなのに、その間に私は自分を変えることが出来なかった。
 逆に、ヴィータちゃんに甘えることで、悪化したぐらい。
 私を怒ってくれるけど、何も言わずに甘えさせてくれるのは――ヴィータちゃんだけだったから。
 あの日のことを、後ろめたく思ってるの、ずっと利用して。

「……うん、やっぱり生きて帰らないと。ちゃんと、謝らないとね、ヴィータちゃんに」

 レイジングハートは、なにも言ってくれなかった。


  *


 息が上がる。
 頭がクラクラするどころか、意識ごと揺れる。
 鼓動が頭の中で鳴り響いて、うるさくて敵わない。
 指輪の引力は、どんどん強くなってるのが分かる。それは、なのはが、近いことを示していた。
 でも、その引力が強くなるたびに、症状は酷さを増していった。

「ヴィータ、私の後ろに下がって。顔色悪いよ」
「大丈夫だ。このぐらい、なのはに比べりゃ、大したことねーよ……」
「そんなこと言って! さっきだって全然反応できてなかったじゃない!」
「フォロー頼むぞ、フェイト……」
「駄目!」

 言い訳も、全く通用しなかったみたいで、フェイトに抱きかかえられるようにして、強引に樹の中ほどにある、太い枝の上に降ろされてしまった。
 結構な高さだ。ビルの何階ぐらいに相当するんだろう。しかし、枝が生い茂っていて、見晴らしはさっぱりだ。そして、人が余裕で三人ほど立てるぐらい、幅が広い。
 ああ、そんなこと言ってる場合じゃない。こんなところで休んじゃいられないと、直ぐにでも振り払って、飛び立とうとするのに、それは全く叶わなかった。
 フェイトの力が強かったというよりも、アタシ自身に、思ったほど力が入らなかったから。それどころか、振り払おうと動いたのは意識だけで、身体はついて来なくて、余計に抱きかかえられる格好になる。
 仕方なく、その場で息を整える。こうしなきゃ、本当に動けなかったから。酸欠になったみたいに、頭がクラクラするのが、一向に治まらない。もう、息をするのも面倒だ。

「こ、こんなところで……止まってなんていられねーのによ……」
「落ち着いて、ヴィータ。そんなじゃ、なのはのところに行くまでに――」
「んなときに落ち着いてられる方が、どーかしてんだよ! ……う、くぅ」
「ほら。立っていられないくせに」

 やっぱり、実際のそれより、感覚がそれ以上ブレる。重い眩暈みたいだ。
 本当に力が入ってないんだろう。利き腕じゃない、フェイトの左腕だけで抱きかかえられてしまう。
 啖呵きった手前、情けなくてしょうがない。
 しっかし、異常に体調が悪いな。正直、それすら考えられないぐらいだ。

「ふう、ふう……どうなってんだ、これ」
「きっと、指輪に魔力込め続けてるから、消費が私たちより激しいんだ。そのせいだよ」
「それにしたって……ちくしょう……!」
「思ったように進めないし、余裕ないのは分かるけど。それに、それは私だって同じだよ、ヴィータ」

 そろそろと見上げたフェイトの顔には、大粒の汗が浮かんでいて、あの真っ直ぐで綺麗な髪も、珍しく振り乱していて、埃やらなんやらで、くすんで見えた。
 紅い瞳のふちには、くまが出来ているようにも見える。
 航行隊の白いマントも、泥や埃、獣の涎なんかで子どもがドロ遊びした後みたいに汚れてるし、爪やらに引き裂かれて、裾やらがボロボロだ。
 そして、アタシの腕を握る手は、さっきのアタシみたいに、必要以上に力が込められていて、痛いぐらいだった。

「……あ、うん」
「息だけでも整えておかないと。もう、随分飛んできたんだし」
「……言いたいことは、分かるけどよ。なのはは、もっと長い時間ここにいるんだぞ」
「ヴィータ。なのはを見つけても、その後帰ってこなくちゃいけない。今のままじゃ、ここから外へ転送魔法が使えないんだよ? そこも考えて、体力を――」
「アタシ等が追いつきゃ、なんとかなる。とにかく、なのはを見つけるのが先決だ」

 言葉の端端から、アタシをたしなめようってのが伝わってくる。今のアタシは、それだけ抑えなきゃいけないって、思われてるってことだ。
 いや、自覚がない訳じゃねえ。だけど、その焦りを抑えようとすると、同じだけ不安が膨らんできて、どうしようもなくなって、結局、焦りを抑えられなくなる。
 不安と焦りが、お互いに刺激しあってるみたいだった。

「確かに遅れは取ったかもしんないけど、ここまで来られてるんだ。問題はねえ」
「ここから、もっと酷くなるかもしれないんだよ? 助けに行く私たちは、万全の体制で臨まなくちゃいけない」
「分かってるけどよ……うわっ、あにすんだよ」
「お願い。ちょっとだけ、こうしてて」

 いきなり、引っ張られたかと思うと、思い切り抱きしめられた。そして、ゆっくりと背中を撫でられる。
 びっくりした。びっくりして、反抗することも出来なかった。

「フェ、フェイト……?」

 いつもの、良い匂いがしない。甘くて、抱きしめたくなるような、匂いが。
 代わりにするのは、汗の臭いと、獣の涎とかなんかそんな獣臭いのだけ。あと、やけに体温が高く感じた。
 そして、歪むほど押し付けられた胸から、鼓動が伝わってくるようだった。アタシと同じぐらい、早鐘を打つような、鼓動が。何故か、そう思えた。
 背中を撫でる手は、アタシだけじゃなく、自分も宥めようとしているような、そんな気がした。

「……うん、落ち着いてきた」
「お、おう。あんがとな、フェイト。よし、あんまノンビリしちゃいられねえし。行くぞ」
「ヴィータ、待って!」
「も、もう待たねえ――っ!?」

 腰を下ろした樹の根元。結構な高さがある。
 それにも拘らず、"そいつ"と目が合った。暗く、明かりの落ちた中、不気味に光る紅い光。
 反射的にグラーフアイゼンを構えようとするが、フェイトに引っ張られ、一瞬にしてそこから距離を取った。
 フェイトの判断は、正しかった。
 引っ張られた、そう思ったのは、角野郎の突き上げた前足によって、アタシ達の居たところは粉々に砕け散っていたのが見えたから。
 舞い散る枝の破片。段々と離れていく角野郎。
 どうする?
 けれど、目の前の角野郎は、アタシに考える時間を与えてくれない。
 既に、ずっしりと並んだ鋭い歯が、鮮血を滴らせたような舌が、地獄へ通じるような喉が、飛び散る破片の合間に覗いていた。

「フェイト、アタシにくっついてろ!」

 衝撃弾を生成し、思い切り叩く。
 しかし、相手のほうが一瞬早かった。
 爆発音と、それに伴う凄まじい衝撃波。そして、木の破片が一度にアタシ達に襲い掛かる。
 アイゼンゲホイルの衝撃波は広がりきらなかったが、一瞬早く生成される球状バリアがアタシ達を包む。
 まるで木の破片のように、吹き飛ばされる。
 そのまま、ほとんど受身を取ることも出来ず、大木に叩きつけられてしまった。

「がはっ!」
「ぐうぅっ!」

 バリアが生成出来たとはいえ、その衝撃たるや、凄まじいもので、大分食らってしまった。
 意識が一瞬、ブラックアウトする。
 体勢を立て直そうにも、身体に力が戻らない。フェイトの意識も、感じられない。アイゼンの警戒音が、頭に直接鳴り響く。
 何がどうなっているのか、痛みが全身を支配する中、とにかく全力でシールドを展開する。

「が、がああっ!!!」

 シールドなんか、存在しないかのような衝撃に押しつぶされる。
 背中で、樹が砕けていくのが分かる。
 踏ん張ることも出来ない。
 そんな中、何とか反撃の糸口を見つけようと、かぶりを振って正気を取り戻すけれど、その視界は真っ暗に塗りつぶされていた。
 だけど、アイゼンが状況を伝えてくれる。視界を覆っているのは、角野郎の、足の裏だ。
 どうやら、樹に叩きつけられたアタシを、思い切り踏み潰そうとしたらしい。
 助かった。
 噛み付かれたり、爪で引っかかれたりだったら、今頃身体が真っ二つになってるところだ。

「く、くそっ! これじゃどうにもならねえ!」

 相手の判断ミスだと思っていたものは、気まぐれのようなモノに過ぎないことに、直ぐに気付かされた。
 これ以上、アタシの身体は沈んでいかない。
 けれど、上から圧し掛かる力はどんどん強くなる。
 潰される――!
 しかも、角野郎は魔力の扱いが上手い。
 足の裏だというのに、アタシのシールドを侵食し始めた。
 バリアブレイクのように、徐々にひびが入るのも心臓に悪いが、溶けていくように薄くなっていくのは、もっと悪い。
 さっきの咆哮で、航行隊支給のマントは、ただの布切れと化しているようだった。

「くそ、くそっ! どけ、どけよ!」

 シールドが溶ける。
 つっかえ棒代わりの愛機にも、ひびが入り始めた。
 息が、出来ない。
 このままじゃ――死ぬ。
 視界がほぼ黒に塗りつぶされている分、その他の感覚が鮮明になる。
 全身の異常が、手に取るように分かる。
 ――なのはを助けに来たのに、こんなところで!
 背骨が、肋骨が、嫌な音を上げる。
 ――まだ、なのはを助けてないのに、こんなところで!
 肺の中の空気が、全部押し出される。
 ――こんなじゃ、また、なのはを泣かせちまう!
 もう、シールドは色を薄っすらと確認できるだけになってしまった。
 ――ちっくしょう!

『ヴィータ、ライトニングプロテクション!』

 頭に直接フェイトの声が響く。
 それをどう思うかよりも早く、アイゼンがフェイトの指示通りに防御魔法を展開してくれた。
 目の前で、光が弾ける。
 目も開けていられないほどの、光の正体は、フェイトのサンダーアームだ。
 機械がショートするような、電気が空気を裂くような轟音の合間に、角野郎の悲鳴が振動となって伝わってくる。

『だ、駄目! この子、倒れない!』
『フェイト!』

 フェイトの声が、次にどういう行動を取るつもりなのかを伝えてくる。
 反射的に声を上げる。
 この状況で、その"約束"を守るべきか判断したわけじゃない。そんな余裕は、微塵もないのだから。
 けれど、それを止めるように、名前を叫んでいた。

『テスタロッサ、もう一撃だ!』
『シグナム!?』

 飛び込んできた念話は、シグナムの声だ。
 すぐさまに、目の前を電撃が駆け巡る。さっきより威力が高い。耳をつんざくような轟音と獣の悲鳴。そして、それが止んだとき、アタシの視界にゆっくりと淡い光が差し込んできた。
 それを喜ぶよりも先に、思い切り胸に空気を取り込む。
 咳き込む。
 それでも、息を吸うのを止めない。

「ヴィータ、大丈夫、ヴィータ!」
「げほっ、ごほっ! ……ああ、大丈夫だ。あんがとな……げほっ、げほ……フェイト」
「ふん、私に礼の一つもなしか。バチは当たらんとは思うがな」
「そんなに、ゴホ、ゴホッ……怒んなよ、シグナム」

 フェイトに引っ張り上げてもらうと、シグナムは、ムスッとした顔で、アタシを見ると顎を逸らしてしまった。既に、航行隊のマントは羽織っていない。
 アタシたち自慢の騎士甲冑の上着部分に、いくつもの爪痕を見ることが出来る。下半身を覆う甲冑も、膝丈スカートほどの長さになってしまっている。露わになった太ももに、浅いながらも引っ掻き傷が出来ていた。
 いつもきちっと結わえたポニーテールも、随分ざっくりとなってしまっている。
 こんなにボロボロのシグナム、どのくらいぶりだろ……?

「まあ、良い。礼を言われるほどのこと、したわけではないからな」
「まあまあ、シグナム。ところでヴィータ、これ」
「あ、ああ。こ、こいつ……前にアタシが遭ったヤツかな……?」
「前にも? 全く、ご免蒙るな、このようなデカブツは。あの電撃を二回も耐えるようでは」
「そうだ、シグナム。マントは?」
「ん、あれか。スマン。役に立たなくなったのでな、捨て置いた」
「……うーん、大丈夫かな」

 大木の合間に横たわる角野郎は、だらしなく口を開いて、そこから長い舌を、だらんと放り出していた。全部が大きいからスケール感が狂うな。
 首の付け根辺りに、黒く焦げた跡がある。あそこに、どっちかの魔法が集中したんだろう。
 それでも、死んだ様子はなく、身体が痺れて上手く動けないといった感じだった。
 経験からして、暫くすれば動き出しそうだ。

「こいつ、アタシが本気で鼻っ柱叩いても平気なヤツだからな」

 樹の幹を蹴って、飛び出すアタシを、フェイトが苛々した声で呼び止める。

「待って! それより前に、怪我の治療を!」
「そんなの後だ! 随分足止め食らっちまったからさ!」
「ヴィータ!」
「テスタロッサ、いくぞ」
「……ああ、もう!」

 シグナムが説得してくれてるのが聞こえた。
 フェイトには悪いけど、今はそんなことに構ってる暇はないんだ。
 あんなヤツが、なのはのところにいるかも知れない、そう思うだけで体温が下がる。
 "あのとき"の光景が、今までになく、くっきりと浮かび上がってくる。焼き付いて、忘れようにも忘れられない、あの光景が。
 思考と感覚が、記憶に引っ張られる。
 心が焼ききれてしまいそうだった。焼ききれて、灰にってしまいそうな錯覚。
 さっき、自分がなのはの元へ辿り着けないかもしれないという、恐怖。
 ボロボロになっている、フェイトとシグナムの姿。
 それらが、身体の不調を、痛みを麻痺させてくれる。
 行ける! いや、行かなくちゃいけない――今治療のために足を止めたら、痛みに膝を折ってしまいそうで怖かった。だから、なのはの元へ急ぐために、飛んだ。
 指輪の引力に、身を任せて。


  *


 WASは、やっと逸れた人たちを捉えてくれた。
 そして、幸運なことに、私たちのところへ集まってくる動物の数は、減りつつあった。
 油断はできないけど、少しだけ事態は好転していた。
 胸の奥の痛みと、全身の軋むような感覚は強さを増していたけれど。

「何とかして、ここを離れたいのに……誰か、誰か一人でも来てくれたら」

 WASを見つけたことで、心が折れそうになっていた彼らは、なんとか持ち直してくれたようだった。
 よく、今まで生きていてくれたと思う。全員が生きていた訳じゃないけど、一人でも多く、助かりそうなことに安堵した。
 転送魔法が使えたら良いんだけど、レポートにないことは出来ない。この状況じゃ、リスクが高すぎる。
 転送に入る前。転送中。そして、転送後。普段でもリスクがあるというのに、動物たちや高濃度のAMFの中では、不確定要素が多すぎて、とてもじゃないけど……
 流石に、そこまでの博打は打てなかった。私一人じゃないんだし。

「カートリッジは、あと一つ。この一つで、どうにかやりすごさないと……」

 減り続けるカートリッジを前にして、レイジングハートが警戒音を鳴らす。
 引っ張られる意識、そのままに振り向けば、背の高い草があるだけで、なにも見えなかった。でも、気配はある。大きく、ずんぐりとした生き物の、荒い息遣いを感じる。
 初めてのタイプだった。
 レイジングハートを構える。
 今までの経験から、他にも潜んでいることも考えられる。周囲への注意も怠れない。
 相手も、私が気付いたことが分かったみたい。ぐっと潜めてた気配を、隠そうともせず露わにした。もう、いつ飛び出してくるのか。そこへ、神経を注いだ瞬間、
 ――来るッ!
 張り詰めた空気が、一瞬身を潜めたかと思うと、その次には、気配を爆発させ、全身をさらけ出した。
 こんなに大きいとは思わなかった。巨大な弾丸というか、殺気の巨大な塊というか、なんと表現していいか分からない、真っ黒な猪みたいな動物。
 速い。けど、避けられなくは、ない。
 ギリギリのところで、回避。
 そのまま、反撃しようとしたところで、思わぬ邪魔が入る。
 魔力で起したのか、衝撃波とおもしきものが巻き起こり、簡単に巻き上げられてしまう。

「くうぅっ!」

 巻き起こるそれに逆らわず、上手く流れに乗る。でも、次もそうやってはやり過ごせそうになかった。ラウンドガーダーに、ひびが入るのを視界の端で捉えることが出来た。
 中にいる彼らが怯えている。
 防御として、申し分ない強さを誇るはずなのに、こんなにあっさりもっていかれそうに、なるなんて。
 突っ込んできた猪は、私をし止めることが出来なかったと、あたりを蹴散らし、土煙を上げながら方向転換している。
 いけない!
 誘い出して、引き離す? 駄目だ。あの衝撃波を起させないようにしないと。
 出鼻を挫くしかない。でも、相手は既に体勢を低くして、今度はラウンドガーターの方へ、狙いを定めている。バスターじゃ、間に合うか、あの巨体を弾けるか自信がない。
 猪の視線上に身体を割り込ませ、なるべく大きくシールドを展開する。
 一瞬、相手の動きにブレが見えた。意識がこっちに向くのを確信できた。
 次は、勢いに乗る前に、潰さなきゃ――

「ぐうぅう!」

 速い。
 高速機動を得意とする人を、幾度となく相手にしてこなかったら、この一瞬で勝負が決まってたぐらいに。
 極大の砲撃魔法を、真正面から受け止めたような衝撃に、歯を食いしばる。
 踏ん張りきれなかった。
 衝撃波だけじゃ、ないのかもしれない。受け流し、カウンターで決めるつもりだったのに、その合間に足元からすくい上げられてしまった。
 相手のダメージは? 今の体勢は? 私の位置は?
 最初に受けた衝撃は、私の意識を朦朧とさせるのに成功させていたようだった。

「がはっ、ふっ」

 レイジングハートは、途切れることなく状況を頭の中に送ってくれる。
 だけど、それを分析し、判断する私の頭が働かない。
 全力でシールドを展開したせいか、身体に痛みが走り、更に全身を叩く衝撃と一緒になって、邪魔をしていた。
 世界が回る。
 自分の位置が、上も下も、全然分からなかった。
 このままじゃ――!

”Accel Fin”

 レイジングハートが、私の身体を無理やり持ち上げる。何かに、ぶつかりそうだったのかもしれない。
 空を飛んでいるのだろうけど、それによる浮遊感を眩暈が上回っている。上下が分からないままでいると、背中に柔らかい衝撃が伝わる。
 デバイスによる発動では、練りこみが足りなかったのか、地面に着地してしまったらしい。ぶつかる寸前の感じ。ジャケットの自動浮遊が効いたらしかった。そこで、地面に下りたのだと分かる。
 一つ、状況が埋まる。レイジングハートの報告が入る。
 作ってもらったこのチャンスで、私は態勢を立て直すことが出来る。RHのサポートを受け、私に向かって前傾姿勢になろうとしている猪の、前足をバインドで縛ることが出来た。
 つんのめった猪は、その鼻と反り返った牙で地面を掘ってしまったらしい。
 いける!
 レイジングハートが言うまま、アクセルフィンで思い切り突っ込み、フラッシュインパクトを眉間に叩き込む。
 足りない。まだ、相手は戦意を失っていない。
 圧縮魔力を叩き込む、この方法なら、他の魔法より、効果的にダメージを与えられるはずなのに。

「ちょっと……大人しくしてくれたら、良いから!」

 もう一撃。何とか平衡感覚を取り戻しつつある頭で狙いを定め、敏感であろう鼻の先から叩き込んだ。
 フィールドで緩和されていなければ、どれほどの音量だったのだろうと思うほどの、猪の絶叫が身体に叩きつけられる。そのまま、一度身を捻り、頭を持ち上げるけど、最後に弱弱しく息を吐き、ゆっくりと地面に身体を横たえた。
 直ぐに後ろへ飛び、距離を取る。睨みつけるけど、猪は動く気配を見せなかった。

「はあ、はあ、はあ……どのくらい、大人しくしててくれるかな」

 レイジングハートの見立ててでは、魔力ダメージが付加されているために、暫くは大丈夫だろうというものだった。バインドもしっかり決まっているし、若し起きても、振りほどくには時間がかかるだろうとも。
 その報告に、胸を撫で下ろす。
 あとは、その"暫く"の間に、どうにかして事態を好転してくれれば良いんだけど……その兆は、まだ見えなかった。
 眩暈は、少しずつ治まりつつあったけど、魔法を使うたびにこの様では、正直長持ちしない。
 WASを一つだけその場に残すことにする。彼らの周囲には、動物たちの気配がないようだから、最低限の目印のために。他は引き上げさせて、周辺の守りを強化することにする。
 誰かに見つけてもらうには、それまで生きてなきゃいけない。
 WASが戻ってくる間にも、同じように私の元に近づいてくる動物たちを、キャッチする。ここから見て、南東の方角だけ、妙に数が少ないけれど、安心材料になるかと聞かれれば、疑問だった。
 正直にいって、分かっているだけの数がここに来たなら、私は彼らを守りきる自信がない。
 そして、同時に、私自身が助かる自信もなかった。
 このまま、ブーストをかけ続けた状態に、身体が耐えられるか。
 三匹以上が同時に来た場合、捌ききれるのか。
 弱ったラウンドガーダーが、あとどの位持つのか。
 救助は来るのか……

「不味いなあ……流石に、ちょっと立ってられないかも」

 レイジングハートに寄りかかる。
 息をすると、喉の奥から気管、肺までがざらざらするような感触。胸が締め付けられるようで、肺が充分に広がってくれず、深呼吸しようとしても、途中で吐き出してしまう。
 鳩尾が重い。
 拳大の重石でも入っているかのように、沈み込む感じ。
 膝に力が入らない。
 歩こうと、足を踏み出そうにも、膝から下に力が入らず、この場から動けない。
 バリアジャケットが重い。
 本来、ほとんど重さを感じさせないものなのに。昔、訓練のために魔力ギブスをしていたけど、それの何倍もの負荷がかかっているような感覚。
 視線が、上がらない。
 釘付けになったように、踏み荒らした地面ばかりを、見つめていた。

「ヴィータちゃん。聞いたら怒るだろうなあ」

 少しだけ休めそう。
 他ごとを一切排除して、精神の均衡を保つために一気に集中する。集中が途切れてしまうと、魔力の循環が滞ってしまう。
 そのために、絶対必要なのに、排除したはずの頭に浮かんでくるのは、ヴィータちゃんのことばかり。それも、怒っている顔のヴィータちゃん。
 ああ、そうだ。今頃、どうしてるかな。私が帰ってこないから、教導隊に連絡取ってたりしてくれてるのかな。
 怒っててくれると嬉しいな。「どうして連絡寄越さないんだ!」って。それで、ヴィータちゃんから連絡してきてくれたら、「助けに来て欲しいなあ」って言うのに。
 そしたらきっと、怒りながらも、直ぐに来てくれるよね。

「さっきは来てくれないかも、なんて、思ってたくせに。ホント、都合が良いんだから……」

 弱気になってるんだ。都合の良いことばかり、考えてしまう。
 絶対に大丈夫――
 とてもじゃないけど、今の私には、口にすることが出来なかった。
 色んな人と出会って、色んなことがあって、みんなでそれを乗り越えてきた。
 小さい頃から、心のどこかで感じてきた、寂しさというか、なにか埋めることの出来ない隙間。
 それが埋まっていくたびに、私は強くなった。
 ううん。埋めるために、その隙間を否定するために、目を逸らすために、必死になっていたから。そして、多くの人が、そんな私を支えてくれたから。
 戦闘スタイルだって、そう。
 私は本来、前衛がいることが前提のスタイルで、ブラスターモードでは、それが顕著になる。
 日常生活だって、そうだった。
 中学を出てから、ずっとヴィータちゃんとフェイトちゃんが、私を支えてくれた。違う、あの日から、ずっと。
 失うことを、恐れるのは変わらない。
 ただ、それが以前にも増して、怖くなったってこと。
 今あるものを失うことの恐怖が、強くならざるを得なくし、そして弱く脆くしていった。ギリギリの、バランスだったんだ。

「……早く、来てくれないかな。ヴィータちゃん」

 何かを得るたびに、それを手放すことが怖くなる。
 だから、全部、守りたくなる。
 そのために手に入れた力。
 でも、必死になって手に入れたそれは、私の望みを叶えてくれそうになかった。

「――来たみたいだね、レイジングハート」

 引き上げる途中、WASは複数の反応を捉えた。
 全部、例外なくこちらに向かってくる。どうして、私の位置が分かるのかな。正確すぎて、ちょっと怖い。それに、あの子達、気配を消すことが上手なのかな。本当に近くにならないと、私も分からない。
 足の速い子だと、気付いたときには、懐に飛び込まれていることもあるぐらい。だから、WASを私の意識の端に設置して、少しでも早く、発見できるようにしないと。
 ぐるぐると対策を練っていると、意識の端に、新たな気配を感じる。
 一番に来たのは――

「豹柄の子。みんなで、連携でもとってるのかな。私たちの世界だと、群れじゃなかったよね」

 なんとなく、口を吐いた言葉に、大した意味はない。
 レイジングハートは、肯定も否定もしない。
 腰を落とし、しっかりと構える。
 草むら、樹、岩……その向こうにいるだろう、標的へ向けて、意識を張り巡らす。
 一撃も無駄に出来ない。

「――来るっ!」

 まず二匹が、同時に動き出すのを感知した。
 一歩、先に踏み出す。足を止めていられない。軌道を読み、先制していかないと、ジリ貧になってしまう。
 どの子も、個性というほどのものを持ち合わせていなかった。数度手合わせして、見抜けるようにはなってきている。まず、その爪をかいくぐり、すり抜け様に一撃ずつ、フラッシュインパクトを叩き込む。
 教導隊に来てから、今まで以上に、クロスレンジ戦闘の演習をやらされた。あの人たちに比べれば、なんてことない。
 背中で、二匹が地面に顔から突っ込んだ。よし、いける。
 既に、レイジングハートが後発の二匹の位置を捉えている。余裕をもって指示通りの方向へ、身体を捻る。
 動き出しているけど、距離は、ある。向こうは、出鼻を挫かれたことで、動揺しているかもしれない。
 杖に魔力を込めたところで、新たな警戒音が、私の意識を引っ張り上げる。
 背後。空を覆う木々の枝の隙間から、猛禽類に類似した鳥のような動物が、羽根を畳んで降ってくる。
 なんで、今――!?
 どうする、どっちを先にする!? そんな疑問を挟む余地のないほどのスピード。
 シールドで受けるしかなかった。

「がはっ!?」

 勢いを殺せない。
 思い切り、後頭部をぶつけそうになるけど、最低限のフローターで、ブラックアウトするのだけは、免れた。
 シールドには、私の顔ほどもある黒い艶のある爪が、がっちりと食い込んでいる。他の動物と同様、防御魔法を溶かすアプローチ。
 カウンターに、シューターを幾つか放ったけれど、時間が短すぎて、充分な威力を得られなかった。でも、体勢を崩すことで、直ぐに空に連れて行かれるのだけは、防げたみたい。
 しかし、この大きさ。気絶させるには、それなりの威力が必要だ。飛ばれるのだけは防がないと。地面を引き摺られるまま、羽軸のいくつかにバインドをかけた。
 バランスを立て直そうとした矢先、突然のことに戸惑い、翼をばたつかせる鳥。
 勢いが弱まったところでシールドを解除し、巻き込まれないよう、アクセルフィンで出来るだけ距離を取った。

「ぐ、あ、つっ!」

 バランスを崩し、無様な格好で地面の上を転がる。フィンの制御を失敗するなんて、初めてだ。
 動きの速い相手には、複数の魔法を一気に使わないといけない。普段なら、何の気なしに使えるのに……。
 負担が掛かったせいか、痛みというノイズが走る中で、制御を誤ったと思っている私の意識に端に、豹柄の子が、距離を詰めているのを感じる。今がチャンスを思ったんだ。
 どちらかを先に抑えないといけない。
 もう動き出してる。ここも、勢いに乗ってしまう前に、どちらかを叩かないと。
 アクセルフィンで、飛び込んでくる一匹目に狙いを定める。
 ほぼ同時に来てくれたけど、僅かなズレ。このスピードなら、捉えることが出来る――けれど、私の身体は、それに応えられなかった。
 空中で姿勢制御もできず、初心者のように地を這う。
 変だ。何かがおかしい。でも、今の私に、その原因を検証する時間はない。
 身の軽い彼らは、既に方向転換を済ませていたみたいで、こちらに向かって来ているのを感じる。でも、感じるだけ。
 霞む視界と思考に、一匹が牙を覗かせ、一匹は爪を見せ付けている。
 どっちの危険度が高いか。
 レイジングハートが、答えを導き出してくれた。

「たあーーっ!」

 私の上半身ごと、飲み込んでしまいそうなその口に、両手で持ったバスターモードのレイジングハートを突っ込む。
 舌を押され、喉奥を突き上げられたのは、想像以上の効果があり、豹柄の子の動きは、完全に止まってしまった。でも、その痛みは反動という形で、少なからず私に返って来る。
 しかしその痛みにも構わず、ブーストをかけ、全身が千切れそうな思いをしながらも、思い切り振り回して、鈍く光って伸びてきていた爪にぶつけた。
 噴出した悲鳴と唾液が、私の顔面を直撃する。
 気にしている暇はない。
 充分な距離を取りたかったけど、さっきみたいになる恐れがある中、それは出来ない。取りあえず、一撃に反応出来るだけの、最低限の距離を――仲間の身体で防がれたはずの豹柄が、私の視界に入り込んでいる。
 勢いが、足りなかった!?
 考えてる暇はない。既に相手は、再び地面からその身体をこちらへ伸ばしていた。そしてその下では、仲間の爪によって傷ついた身体を、ゆったりと持ち上げている子の姿も見える。
 チャージの時間が足りない。この一撃で、どちらか一方を行動不能にする必要がある。
 回避を選べない私に、選択肢はなかった。

「ぐうぅ!」

 爪は、受けた。自分から受けに行く。振り下ろされる前にシールドごとで、体当たりをして、少しでも勢いを殺す。
 本当ならバリアバーストが欲しかったところだけど、今は、それだけの時間がなかった。
 空中で、もみ合い、なにかに巻き上げられるように、宙を舞う。
 一瞬。
 でも、その一瞬で充分だった。
 私に牙を突きたてようと、開かれた口に、思い切りRHを突っ込む。相手は、えずいて腕に込めた力が弱まる。
 よし、いける!
 レイジングハートの切っ先から放たれた桜色の光は、大きく開けた喉の奥へ、吸い込まれるように撃ちこまれた。

「あがっ!」

 爆発とともに巻き起こる土煙。双方吹き飛ばされ、強制的に距離を取ることが出来た。姿は確認できないけど、気配がかなり遠のいていったのが分かった。
 何とか身体を起こすと、それを見計らったように、投げつけた子の右腕が、私の左腕を捉えた。RHのオートガードは、まるで紙のように切り裂かれ、バリアジャケットを引き裂き、左手がレイジングハートから離れる。
 間髪いれず、左腕が襲い掛かってくるけど、そこは好きにさせない。バリアジャケットの袖を引っかかれながらも、ぎりぎりでかわし、今まさに食いつこうとしている口に、直射型の魔法を叩き込んだ。

「んぐっ!」

 今度は何も出来ない。
 爆風に吹き飛ばされ、勢いよく、地面の上を滑っていく。
 ごつごつした石と、やけに固い草が、痛い。
 左腕が、動かない。
 息をするだけで、全身が軋む。
 自分に対する感覚が、痛みばかりなのに対し、思考は、レイジングハートから送られてくる情報の為に、妙にクリアだった。
 どういうわけか、身を潜めていた三匹目の子。
 その向こうで、バインドを解除しそうになっている、鳥の様子。
 更に、距離を詰めてくる、他の動物達。
 その中に、額に角を生やした、一番厄介な子が二匹、確認できる。

「もう、駄目、かも……」

 自然と、口を吐いた。
 コレだけの数、どうやっても捌ききれない。
 カートリッジは残してあるけど、それを使う私の身体がついていけない。
 利き腕をやられると、意外にガックリくるものなんだって。前には、思わなかったんだけどなあ。……前にそんなことあったかな? どうだったかな、覚えてないや……
 それでも。
 それでも、「駄目」だとは、断言しなかった。
 まだ何か、私の中には、自分を支えてくれる何かがあるんだろうか。

「……ここで、ヴィータちゃんが助けに来てくれたら……格好良いのになあ」

 寝返りを打ち、右手でなんとか起き上がる。
 身体を引き摺るようにして、豹柄の子と、距離を計る。
 隠れている必要がなくなったのか、弱った獲物を前にしての余裕なのか、ゆったりとした足取りで、私の前に姿を現す。ラウンドガーターには、興味がないみたい。あくまで、狙いは私だ。
 ありがたい。あの爪で直接引っかかれると、簡単に破られてしまうかもしれないから。
 これは、チャンスだって、思わなきゃ――!

「ふっ!」

 理由は分からないけど、制御が利きにくいことだけは、明らか。だから、ジリジリと距離を計った後、アクセルフィンで、一気に距離を詰める。
 今まで、隠れて様子を窺っていた成果だろうか。相手は、戸惑うことなく、黒光りする爪を伸ばしてきた。
 でも、こっちだって、何も知らないわけじゃない。この子たちが左利きだって分かってる。
 レイジングハートを構えた右腕を、爪をかすめながら、むき出しになった牙に思い切り突っ込む。
 肩が外れそうな衝撃。
 だけど、その口の中に、レイジングハートを突っ込む事が出来た。
 このやり方も、何度も見ただろうに、いざ自分がやられてみると、都合が違うんだろう。痛みと動揺に、動きが止まる。
 その一瞬の隙を見逃さず、ディバインシューターを出来る限り撃ち込んだ。
 喉奥で爆発が起きて、お互いに弾き飛ばされる。
 投げ出される私に、レイジングハートは、相手の子が、魔力ダメージを充分に与えたことを教えてくれる。

「ぐふっ、がはっ!」

 RHの自動浮遊も、ほとんど効果がない。姿勢制御が精一杯。不十分なフローターで、なんとか衝撃を和らげることが出来る程度。
 地面に突っ伏して、じんじんと痛みが広がるけれど、休んでる暇はない。
 直ぐに身体を起こし、最後の一発。カートリッジをロードした。
 身体中に魔力が満ちる。
 胸の奥を、無理やり広げられるような感覚に咽ぶけど、身体を折っていられない。
 相手は減るどころか、その数を増やしつつあるんだから。ここで、膝を着いてしまったら、きっと、もう立ち上がれない。

「――うん、分かった。なるほど」

 魔力の循環を調節していると、RHの声が届く。さっきから、姿勢制御なんかが、上手く行かなかった理由を分析していてくれたらしい。結論は、あの猛禽類の子が巻き起こす、魔力の渦だという。さっきの猪のと、同じ類らしい。
 さっき、シールドで受けたのは結果的に正解だった。あそこで、高速移動魔法を使っていたら、上手く動けず、豹柄の子に上手くやられていたかもしれない。
 だったら、まずはこの子からだ。この先も、同じように動けい事態は避けたい。
 右腕を設置バインドで固定して、狙いを定める。
 レイジングハートの切っ先に、魔力が溜まっていく。それと同時に身体中に激痛が走る。
 でも――いける!
 目も眩む光と共に、ディバインバスターが放たれる。
 ショートバスターに比べて弾速もチャージも遅いけど、その分威力は充分。羽ばたきに因って起きる、目に見えない渦の中を、邪魔されることなく真っ直ぐに突き進んでいく。
 ディバインバスターの向こう。バインドが緩んだためか、鳥の子が視認出来るほどの渦を巻き起こし、フィールドエフェクトのように自身に纏うけれど、それを、まるで障子紙のような簡単さで打ち抜いた。
 甲高い叫び声と共に、大きな鳥は光の中に消えていき、その後には、抉られた地面と、なぎ倒された木々が生々しく残るだけだった。

「ま、まだ……あと二発はいける。ううん、その前にラウンドガーダーを補強しないと……」

 バインドを解除し、痛みばかりの左手を引き摺りながら、彼らの元に向かう。
 他の動物たちを到着する前に、なんとか済ませておかないといけない。
 目が霞む。
 世界が回る。
 身体中が引っ張られるような、締め付けられるような、滅茶苦茶な痛みが襲う。
 思考が纏まらない。
 強い魔法を使ったとは、特に酷い。
 でも――

「み、みんな、大丈夫かな? 怪我……怪我は、治った?」

 精一杯。
 今出来る精一杯の笑顔に、彼らは涙ながらに頷く。
 この分なら大丈夫。
 ディフェンサープラスで充分かも。
 レイジングハートをかざし、ディフェンサーを重ねがけする。
 私が倒れてしまったら、大した時間稼ぎにもならないだろうけど、余波で壊れちゃうようなことはないはず。出来れば、彼らを気にせず、戦いたいから。

「これで、よし。みんな、ここで……助けを待っていようね」

 不安に彩られている中に、悔しさや不甲斐なさを強く滲ませながら、黙って頷いてくれる。
 自分達じゃ、援護にすらならないことは、分かっているんだろうと思う。
 これ以上、顔を見ていると、私まで辛くなる。
 毅然と背を向け、歩き出す。

「……うん。あの時のリハビリに比べたら、そんなに……辛くない」

 そんなことない。単なる強がりだ。本当なら、このまま痛みに任せて身体を折り、地面に蹲っていたい。思い切り、痛いって言いたかった。
 だけど、どういうことか、何か正体の分からないものが、私を支えていてくれていた。私に、もう少しだけ頑張ろうって言ってくれる。もう直ぐだからって、そう言ってくれているような気がした。
 だから、もう少しだけ。
 何のことか分からないのに、信じられる気がした。その"なにか"は、ずっと私の近くにいてくれてて、今も励ましてくれてるの、信じられたから。
 だから、もう少しだけ、頑張ってみよう。この魔力が尽きるまで、立っていよう。


  *


「ヴィータ、少し休んで!」
「コレが終わったら、文句言われるほど休んでやるよ!」
「先行しすぎだ、ヴィータ!」
「うっせー!」

 一番多いところは抜けたようだった。
 大きな鳥のヤツが、連続で出てきたときには、流石に肝を冷やしたが、それも叩き、他に襲ってくる連中もなんとか切り抜けることが出来た。
 あとは、なのはのところまで一直線だろうっていうのに、翻ってアタシの飛ぶスピードは徐々にだけど、落ちている気がした。高度を維持するのも、難しくなってるのも感じていた。
 フェイトは休めというが、そんなちょっと休んだぐらいで、回復するとはとても思えない。焼け石に水なら、まだマシだと思えるぐらいに。この指輪に魔力を込めるって方法。フェイトの言う通り、随分消耗するみたいだ。
 揺すられるような頭痛。全身を巡る痛み。確実に消耗する体力と魔力。
 足を止めるわけにはいかなかった。身体の状態は、どれも弱くなるなのはの反応の前には、取るに足らない理由だから。
 今足を止めるのは、息を止めるのと同じ意味だ。

「っそ! 構ってられねーんだよ!」

 鋭い爪を紙一重でかわし、離されないよう羽根に思い切りしがみ付き、背中を殴りつけ、地面に叩きつける。
 最初、かわしてやり過ごそうとして、羽ばたきに巻き込まれたのには、驚いた。やっぱり、木々の上を飛んでいかなくて正解だった。こんなのに襲われちゃ、あっという間に囲まれて終わりだった。
 しかし、空も見えないほど生い茂る木々の上から、どうやってアタシらを見つけているのか。それが分かれば、無闇に襲われるのを減らせるだろうに、じっくり分析している暇がなかった。
 結局、今のやり方で、一つ一つ叩いていくしかない。ごちゃごちゃもみ合ったり、こそこそ移動して、時間を浪費するのは一番避けたかったからだ。
 フェイトがなんと言おうと、このまま飛んでいくしかない。

「はあ、はあ、はあ……! 一体、どうなってんだよ!」
「なにが!?」
「指輪の反応が、また弱くなってる! 近づいてるはずだってのによ!」
「あっているのか、ヴィータ」
「惹かれる方向は変わってねえ。だけど、その強さが変わってるんだ! どんどん、弱くなってる!」
「移動しているのかもしれんが……同じ方向ばかり、というのは、ちと解せんな」

 胸が、これ以上ないというぐらいに、早鐘を打っている。
 汗が噴出し、目に入ってくる。
 嫌な予感しかしない。
 距離は詰まっている。なのはを大きく感じるからだ。もう、手で掴めそうな、直ぐそこまで来てる感じなんだ。それなのに、引力が弱くなってるってことは、なのは自体の魔力が弱まってるとしか思えない。
 そもそも、こんな長時間活動することなんて、滅多にない。しかも、状況が状況だ。
 常に、気を張り巡らし、全力で戦っている可能性だってある。
 相手が格下――しかも、それはありえない――であったとして、AMF下の戦闘だ。何時間もいられるような環境じゃない。

「くっ、く――ごほっ、ごほっ! ぐっ……」
「ほら、やっぱり! シグナム、お願い」
「仕方あるまい」

 フェイトは、アタシに追いついたかと思うと、抱きついてきて、治療魔法をかけ始めた。
 シグナムは、ぴったりと速度をあわせ、あたりを警戒しながら、アタシ達を覆うように飛んでいる。
 金色の柔らかい光が、ふんわりとアタシを包む。
 フェイトの優しさそのもののようで、思わず目頭が熱くなる。思わず、スピードを緩めそうになるけど、そうもしてられない。

「ヴィータ、分かってると思うけど……」
「分かってる。無茶すんなっていうんだろ」
「それもあるけど……あっ、ヴィータ!」
「あんがとな! でも、もう大丈夫だ。いくぞ、フェイト!」

 手を振り払い、スピードを上げる。
 息を吸うたびに、肋骨や背骨に走る痛み、全身が軋むような感覚も大分緩和して、おかげで咳き込まなくなった。
 一時的なものだってのは、分かってる。でも、今はそれで充分だ。
 取りあえず、アイゼンを思い切り振り回せる状態なら。全力で、数回出来りゃいい。
 高度を保ち、ちょっかいを掛けてくる鳥を叩き落す。今のところ、三種類ほど確認できているけれど、違うのは大きさぐらいで、どれも、攻撃方法が違うわけでもなく、今なら何とか捌くことが出来る。
 鼓動にあわせて、全身に痛みが走るのも弱くなってる。眩暈も少ない。それに、なのはのことを思えば、全然どうってことない。
 さっきから、アタシの頭の中では、"あの日"のことが、何度も何度も繰り返されている。あの時、あの時から、なのはの受けた痛みを思えば、なんてこと、ない!

「ヴィータ、ヴィータ! 返事をしろ!」
「――う、うるせえ! 黙ってろ!」
「流石に言わずにはおれんだろう。お前らしくないぞ、冷静になれ」
「アタシは冷静だ!」

 大声を出すと、やっぱり割れそうに頭が痛い。
 その痛みによる嘔吐感で、口の中がすっぱくなる。油断すると、あげてしまいそうだ。
 駄目だ。集中しろ。
 なのはまでの道筋を、見誤る訳にはいかねーんだからよ!


  *


「はっ、はっ、はっ……ふう」

 痺れて感覚のなくなった右手をぶら下げ、息を吐く。
 バインドで、無理やりレイジングハートを縛り付け、何とか振り回してきた。
 周囲には、十匹の気絶した猛獣の子たち。もう、遠くまで吹き飛ばす元気もない。
 バリアジャケットは、大きく形を崩し、上着は袖がなくなっているし、スカートも足が露わになってしまっている。
 結った髪も、片方が解けてしまって、いくらか短くなってしまった。
 全身、泥と埃と涎まみれで、とてもじゃないけど、ヴィータちゃんに見せられるような格好じゃなかった。

「……あの子。いつまでああやってるつもりだろう」

 角の生えた子。
 WASで感知して、警戒するようになってから、一向に近づいてくる気配がない。どういうつもりなんだろう。意識の端に居座って、私の神経を殺ぐような空気を放っている。
 でも、豹柄の子や、猪みたいな子、トカゲの大きくなった恐竜みたいな子、猛禽類みたいな子を倒したところで、魔力もほぼなくなってしまった。
 もう、あの角を生やした子が、いつ近づいてきても結果は同じだった。
 カートリッジが残っていたとしても、それを使うだけの体力が、私には残されていなかったし。

「……頑張ったけど、今回ばっかりは駄目だったみたい」

 正面に居座る、角の子だけじゃない。
 依然として近づいてくる気配を、いくつも感知している。十匹? それ以上?
 時間の問題だった。
 早いか、遅いか。
 ただ、それだけ。

「遺書は書いてあるけど……結婚する前のものだし。失敗したなあ」

 自嘲的な笑みが零れる。
 このまま、私が死んでしまったら、あの遺書はヴィータちゃんが受け取ることになるのかな。
 きっと、お母さんとお父さんに渡してくれるだろうけど、ヴィータちゃんについては、何にも書いてないから。ううん、本当のところは、書けなかっただけなんだけど。
 ああ、これじゃ何の足しにもならない。
 詳しいことは、フェイトちゃんが説明してくれるかな、私の代わりに。ホントは、私の口からちゃんと謝りたかったんだけど、今更言っても遅いよね。
 フェイトちゃんにも、悪いことしちゃったな。損な役、押し付ける形になっちゃって。
 ずっと、ずっと心配かけて、かけ続けて、しっかりお礼を言ったことあるかどうか、今になって考えてみると、よく思い出せない。
 ヴィータちゃんにも、フェイトちゃんにも。みんなに甘えるのが当たり前になっちゃって、お礼、全然言ってなかったかもしれない。きっと、そんな不義理を働いたから、罰が当たったんだね。

「――来たね。レイジングハート」

 左右から、四匹ずつ。豹柄の子が控えている。
 そしてついに、正面に構える角の子が動き出した。
 これが最後の一陣になるんだろう。
 もう駄目だ――そう考える私の他に、まだどうにかしようと考える私がいる。
 そして――ヴィータちゃんのことを想う私がいた。
 マルチタスク思考なのかなあ、これ。そう思うと、すごく便利だよね。最後に、こんな状況で、好きな人のことを思い浮かべるなんて、普通じゃ出来ないもの。気付くのが、少し遅かったけど。
 ここ最近、笑顔を見てなかったな。
 最後に見たのは、いつだったかな。
 思い出せない。
 抱えているものが、バレちゃうのが怖くて、毎朝のキスも出来なくなっていた。私、嘘吐くのが下手らしいから。
 こんなことなら、知られても良いから、キス、しておけばよかった。そしたら、毎日毎日、玄関を閉めた後に、後悔して泣きそうになりながら、とぼとぼ通路を歩くこともなかったのに。
 ごめんね、ヴィータちゃん。
 迷惑ばかりかけて。
 私がいなくなっても、はやてちゃんもフェイトちゃんも居てくれるから、寂しくなんかないよ。
 責任を感じちゃうかな。感じちゃうよね、ヴィータちゃんだもん。私なんかの傍に、ずっといてくれたんだもん。ちっとも悪くないのに、未だにあのときのこと、気にかけてくれるぐらいだから。
 でも、きっと直ぐに忘れちゃうよ。来年から忙しくなるし。……やっぱり、ちょっとだけ寂しいかな。そうだなあ。たまに、一年に一回ぐらい、思い出してくれたら嬉しいかな。

「あ、そうだ。レイジングハートに、遺言、遺しておこうかな」

 力のなくなった手に縛り付けられたレイジングハートを、顔の辺りまで持ち上げる。
 念じれば良いんだけど、やっぱり、口にしておきたかったから。
 さて。なんて遺そうかな――

「あ……ヴィータちゃんの、指輪」

 手を顔まで持ち上げてみて、既に動かなくなっていた、利き腕のことを思い出した。あの日から、今まで以上に何度も眺めていて、右手をジッと見るのに、違和感を覚えたぐらいに。
 痛みばかりで、ちっとも動きそうになかったけど、もう最後だと思えば、何とか動かせた。途中から、右手の上に乗せて、やっとのことで、胸の辺りまでもってくる。結婚指輪の収まった、左手を。

「……あーあ。汚れちゃって、全然だ」

 慎ましやかな光を放っていた、銀色の指輪は、どす黒く固まった血に、すっかり覆われてしまっていた。毎日、飽きもせず眺めていた指輪は、面影を殆んど残していなくて――

「この指輪。ヴィータちゃんに、受け取ってもらえるようにしようかな。やっぱり、忘れて欲しくない、し」

 じゃあ、そのように遺言残しておかないとね。えーっと、えーっと……
 …………
 …………
 …………
 …………
 …………
 …………やっぱり、嫌だよ。こんなところで、死にたくなんか、ない。
 好きな人に――ホントの気持ちを伝えないまま、死にたくない。
 ずっと、ずっと。
 アリサちゃんと初めて喧嘩したときから、ずっとそうしてきたのに、最後の最後に、ホントの気持ちを伝えられないまま、こんな風になるなんて。
 嫌だよ。嫌だよ、ヴィータちゃん……!
 目の奥から、熱い滴があふれた。後から後から溢れてきて、止められない。
 むせ返って、咳き込む。身体中に釘を刺したような激痛が走る。RHを支えにしても、とても立っていられない。
 視界が滲んで、何も見えない。
 ぼんやりと光る地面が、現実感を消してくれる。
 その間にも、どんどん距離が詰まってきていただろうけど、もう、そんなこと構っていられなかった。考えてなんていられなかった。
 もう、ヴィータちゃんのことだけだった。
 私を、守ってやるって約束してくれたヴィータちゃんのことだけしか、考えられなかった。
 あのとき。病院のベッドに伏せって、明日のことすら考えられなかった私に、力強く言い切って、ベッドから連れ出してくれたヴィータちゃん。
 凄く嬉しかった。
 なにか、言い知れない安心感に包まれた。そんな気がした。
 まだ子供で、お父さんもお母さんも、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、みんなみんな、守ってくれてたっていうのに。
 何故か、ヴィータちゃんとの約束が、私を、干したてのお布団みたいに、温かくてふかふかに柔らかいもので包んでくれたような、そんな幸福感にも似た感情だった。
 その前から、仲良しだったとは思ってたけど、明確に意識したのは、あの時だった。
 ヴィータちゃん。
 ヴィータちゃん。
 ヴィータちゃん。
 ヴィータちゃん…………

「……………………お願い、誰か……………………、誰か……………………助けて」

 左右から、控えていた豹柄の子が飛び出してくるのを感じる。
 ついに、正面の子が、その巨体の全部を現した。
 だけど、私に出来ることなんて、立っているのが精一杯の私には、もう、何もなかった。
 何も出来ない、小さな小さな子供のように、守ってくれる人の名前を、叫ぶことしか出来なかった。

「お願い! 助けて! ヴィータちゃんっ!」

 声の限りに叫んだ。
 こんな風に、誰かの名前を叫んだこと、どのくらいあったろう。
 これが最後かと思うと、もう二度と、その名前を口に出来ないのかと思うと、怖くて怖くて、力の限り、喉が張り裂けんばかりに、最後に、好きな人の名前を、思い切り。全ての力を振り絞って。

 


 
 ――その時。
 もう駄目だと、大きく開いた、真っ赤な口を見つめる、私の目と耳に飛び込んできたのは――

「はああああああああああああっ!!!」

 数十発もの射撃魔法と、雷の斬撃。
 そして――

「どおおおおおおおっ、けええええええええっ!!!!!!」

 


 
 ―――真っ赤なドレスを身に纏った、天使だった。


 


 


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