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新婚なの! 13-11 (2)

 今回殉職した隊員たちの、合同葬儀に参列するために、ミッドチルダに赴いた。
 ――ポートフォール・メモリアルガーデン。
 冬空は、厚い雲が垂れ込めて、参列者の心そのもののよう。どんよりと重く、私たちにのしかかってくるようだった。更に、タダでさえ参列者の少なさに寒々しさを覚えるというのに、それらの間をすり抜ける風は冷たく、追い討ちをかけていた。
 少ない。
 地上本部側の人間は、ほとんど顔を出していない。
 まるで、墓標の下で眠る彼らは、この世の中から忘れられてしまったかのような、そんな錯覚すら受ける。何度も参列したことのある、任務で命を落とした隊員達を見送るセレモニーも、これほど簡素なものは見たことがなく、事実を消し去るような、手早すぎる葬儀に、違和感ばかりが募る。
 借りてきた、礼服の上に羽織る式典用のコートが冷え切ってしまう前に、それは終わってしまった。
 前に、コレを着たときは、ヴィータちゃんと結婚式の代わりに写真撮ったときだよね――思い出される、あの日のことが、まるで映画のワンシーンのように、現実味がなかった。

「お疲れ様でした」

 地上本部からの、参列者の一人が挨拶をしていった。
 誰だったろう。
 一応士官クラスの人なんだろうけど、覚えがなかったし、大して興味もなかった。
 ぞろぞろと、墓地を後にする人たち。その中の、遺族の方たちだろうか。数人が集団から離れ、私のところへやってきた。
 深々と頭を下げ、お礼を言う人。
 思いつく限りだろう言葉で、罵倒していく人。
 何かを言おうとして、結局何もせず帰っていく人。
 ただ、私を見つめるだけの人。
 様々だったけど、みな共通していたのは、家族を失った悲しみに彩られていたということ。何かせずには、いられなかったんだろう。今回の任務の同行者で、参列したのは、私だけだったから。他の人たちは、まだ病院のベッドの上。
 家族か、恋人か、友人か。近しい人たちの感情を、間近でぶつけられた。でも、私は大して何も感じなかった。ほんの僅かな誇らしさも、泣きたいほどの哀しさも、唸るほどの悔しさも、吼えるほどの怒りも、何も……何もなかった。
 ただ、只管にどうでもよかった。

「……ただいま」

 返事がないことを承知の上で、玄関をくぐる――といっても、玄関ドアはついておらず、間に合わせの物で塞がれているだけ。靴を脱ぎ、家に上がると、管理人さんから、同じものにするか変えるか、連絡を下さいという旨の、メールが届いていた。
 日付は昨日。
 こっちの世界は年末だといっても、それほど変わりなく生活できる。次元世界ごとに、時差があって、日付が違ったり風習が違ったりで、年末年始だからといって、全てが同じように年越し行事をやるわけじゃないから。注文すれば、次の日にでも、取り付け工事に来てくれるとのことだったけど、無視することにした。
 だって、この家は、ヴィータちゃんのものだから。
 玄関ドアをどうするかは、ヴィータちゃんが決めるべきだから。

「寒いなあ」

 明りのない部屋は、肌に触れる空気以上に、寒く感じさせる。
 まず明りを点け、空調のスイッチを入れる。
 温まるまでジッとしていよう。
 コートを羽織ったまま、ソファーの上で小さくなる。
 冷え切った部屋の、何処ということなくぼんやり視線を投げながら、中々温まらない中でふと、ヴィータちゃんのことが思い出された。
 誰もいないのに電気がついてるの、気持ち悪いし――そんなこといって、機能をオフにしてたんだよね。だから、今日だって私が帰ってきても、明りも空調も点いてなかった。

「借り物だし、早く脱いじゃおう。皺になったら大変だし」

 どうにも昔の癖が抜けない。
 ヴィータちゃんには色々言ってたけど、ホントは私だって、癖が抜けたわけじゃない。こっちの世界に慣れたんじゃなくて、ノンビリして、甘えてただけ。それに「ヴィータちゃんは癖が抜けないんだね~」とかいうと、もっと可愛かったから。
 ただ、それだけ。
 着替えるために、押入れと化した自分の部屋に入る。着替えや、季節のものを出したり、しまったり。基本的にこの部屋で過ごすことはないけれど、埃一つない。ヴィータちゃんが、ちゃんと掃除してくれてるから。
 明日返すコートを吊るし、タンスから着替えを引っ張り出す。ここは冬物で、あっちには春物。その奥には夏物もあるし、その間の季節にきるものも、別に片付けてあって、出番をジッと待っている。
 今は、冬だから羽織るものも多いし、それの出し入れもある。衣替えや、その時々に必要なものは、自分で出し入れするけれど、普段のことや細かいところは、やっぱりヴィータちゃんに頼ったりしている。
 この部屋に入っただけで、そういう、日常の何気ないことがあちこちに思い出されて、ぎゅうっと胸が締め付けられる想いがした。胸が痛むのは、リンカーコアのような、そうじゃないような……分からなかった。

「……あ、夕焼け」

 朝に垂れ込めていた雲は、いつの間にか薄くなり、幾つか出来た切れ間からは、夕日色のカーテンが下りていて、風に揺れるそれを見ている間にも、どんどん雲は晴れていくようで、南側に面した窓から、部屋は徐々にオレンジ色に染められていった。
 嫌だな、この光景――
 オレンジ一色の光景には、いい思い出が一つもない。
 根幹に眠るのは、お父さんが病院のベッドに伏せ、お母さんたちはお店が忙しくて、ずっと一人だった時の、あの光景。ずっとずっと、それを引き摺っているんだと思う。
 あの時の気持ち。ずっとずっとこの先も、開いた穴は埋められない気がする。
 逢魔が時、なんて言葉を聞いたときは、上手にいうなあ、なんて下らない感想を抱いたものだった。
 そういえば、ヴィータちゃんたちと、しっかり顔合わせした時も、同じような夕暮れどきだった気がする。結果的に、問題なかったけど、あのときのショックったらなかった。

「朝に晴れてくれなきゃ、意味ないよ……」

 天気にまで、恨み言を言い出したら終わりな気がする。
 目を背けるように、カーテンを乱暴に閉めると、あっという間に、夜になる。またソファーに膝を抱えて、うずくまった。空調は入れているのに、全然温かくならない。どこかから、隙間風が吹き込んできている気すらする。
 コート、片付けるの早かったかも……

「お腹、すいた」

 朝に本局を出たときに、逃げるように出てきたものだから、食べる時間が殆んどなかった。
 すっかり日も暮れる時間になれば、動いていなくても、朝にお腹いっぱい食べていても、お腹が減るのは当然。
 でも、その当たり前のことが、驚きだった。
 一昨日に引き続いて、色々なことがあって、多分、哀しいって感情が一番心を占めていて、辛くて辛くて、何も喉を通らないって思ってたのに、それでもお腹は空く。せめて、悲劇のヒロインのようにでも哀しめば良いのに、普通にご飯を食べて、普通にベッドに入って、普通に眠った。
 何も変わらなかった。いつも通りで、ただ、いつもと違ったのは、休暇でもないのに仕事がなかったことだけ。
 私は、薄情な人間なんだろうと、あの人の言葉を自ら証明することになった。

「買い物に行くの、面倒だなあ……」

 冷蔵庫を覗くと、結構沢山食べ物が入ってた。
 そういえば、この間、ヴィータちゃんと久しぶりに買い物に行った気がする。私と行くと、余分なものを買うから駄目とか、荷物持ちなら良いとか、そんなことで怒られて。
 折角買い物にいって、食べるものは沢山あるけど、なにかを作る気になれない。
 一人分の夕飯を作るなんて、どのくらい振りだろう。多分、作り方を忘れてる自信があった。それぐらい覚えがなかった。
 今日は、なにか出来合いのもので……そう思ったけれど、ヴィータちゃんは、お弁当にちょっと入れるぐらいにしか、そういうものを買ってこないって、すっかり頭から抜け落ちていた。冷凍室を開けたところで、都合よくなにも――冷凍食品に紛れて、パウチがいくつか冷凍してあった。
 シチューだ。
 他にも、幾つか一人分ずつに分けて、冷凍してある。

「ごちそうさまでした」

 空になったシチュー皿と、トーストのパンくずが残るお皿。夜に空腹で眠れなくなるなんてことがない程度に、お腹を膨らませることが出来た。
 ううん。そんな、間に合わせみたいなものじゃない。美味しかった。美味しい夕食だった。
 美味しいに決まってる。
 ――だって、ヴィータちゃんが作ったものだから。
 でも、美味しくなかった。
 ――だって、一人で食べたご飯だったから。
 一人きりの食卓で、いつもしているように、向かいの椅子に視線を投げる。だけど、そこには私の視線を受け止めてくれる人はいない。
 今まで、一人で食べる機会は幾らでもあった。別に、初めてのことじゃない。
 私もヴィータちゃんも、仕事で家を空けることなんて珍しくない。そういうときは当然、一人になる。ちょっとだけ、寂しいと思うことはあるけれど、でも、そんなときに、美味しくないなんて、思ったことはない。
 それは、ヴィータちゃんが帰ってくることが、分かっているから。日付の変わる前に帰ってこられなくても、その時には連絡をくれるし、ちゃんと、帰る前には連絡をくれるから。だから……
 でも、今はそれがない。だから、ご飯が美味しくない。
 せっかく、ヴィータちゃんが作ってくれた料理なのに……美味しく食べられなかったことが、残念だ。せっかく、せっかくなのに。
 やっぱり、私は駄目だ。

「お風呂、入ろう」

 寝巻きを用意して、洗面所に向かい、お風呂に入る。
 のんびり湯船に浸かれば、少なくとも身体の疲れぐらいは取れるだろうと、そう思ったけれど、無駄に終わってしまった。
 お腹も膨れて、落ち着いてきたせいかもしれない。目を瞑ってジッとしていると、見たくないものばかりが、瞼の裏に浮かび上がってきて、一分と同じ格好をしていられない。どうしようもない衝動に駆られてしまう。
 身体全体が、なにか目に見えないものに覆われているような、どうしようもない不快感が襲ってくる。
 直ぐに湯船から飛び出して、身体も洗わず、さっさとお風呂から出た。

「明日も早いし、寝よう」

 寝室に引っ込み、部屋の明りを落とし、空調を切る。
 寝室と言っても、本当はヴィータちゃんの部屋で、私のために部屋を一つ空けなきゃいけなくて、こうなった。だから、寝るための部屋じゃなくて、机とか色々置いてある。
 布団を捲って、ゆっくりと潜り込む。
 真っ暗な部屋は、嫌だ。
 目を瞑ってないのに、余計なことばかり考えて、見たくもない光景が脳裏に浮かび上がる。
 枕もとのスタンドを点けて、少しだけ明るくした。しっかり眠れないかもしれないけど、全く眠れないよりはマシだろうから。どうせ、明日も仕事はないのだ。
 ぼんやり、オレンジ色の天井を見つめながら、早く眠くなることを願った――

「――はっ!? はぁ、はぁ……はあ」

 目が覚めた……んだろう。いつの間にか、眠っていたみたい。
 枕元の時計は、午前三時を示している。やっぱり、眠っていたようだった。
 身体に、なにかの感覚が残っている。なんだろう? 何かから逃げようとしていたような……よく、分からない。でも、とにかくぐったりとした感覚が強くて、寝汗を、びっしょりかいていた。
 汗をかいたせいか、喉が渇いてしょうがない。痛いほど、喉が渇いていた。仕方なく、なにかを飲もうと身体を起こして、台所に向かった。
 流し台の前に立ち、コップに一杯、水を飲む。冷たい水が、ずるずると胃に落ちていくのが分かる。
 喉に気持ちいい。
 空調を切ってから幾らか経つけど、部屋は思ったより寒くない。
 遮光カーテンに、街の僅かな光はもとより、月明かりすら遮られて、家の中はほとんど真っ暗だったけど、どこに何があるかはちゃんと分かっているし、目を瞑れば、浮かんでくるほど。
 台所も、リビングも、洗面所も、お風呂も、どこだって。全部全部、ヴィータちゃんと生活してきた家なんだから、ちゃんと、分かってる。どこにだって、ヴィータちゃんの痕跡があって、どこにでも、ヴィータちゃんを見つけることが出来る。だから、真っ暗でも、全然、大丈夫。
 ここは、ヴィータちゃんとの――ヴィータちゃんの家なんだもん。

「……寝よう」

 思い出に浸ったところで、何の足しにもならない。今から、自分が潜り込むベッドの冷たさが際立つだけ。
 一人は嫌だ、やっぱり。


  ◆


 次の日。スケジュールに穴が開いてしまったから、教導隊のオフィスに顔を出す。コートと礼服は借り物だったから、それのクリーニングも頼まなきゃいけなかったし。
 幸いといって良いのか、仲の良い人には会わなかったし、特にプリムさんは、新型デバイスの試験が続いているらしくて、オフィスにはいなかった。誰かに声をかけられないうちに、早く帰ってしまおう。
 今回の教導のスケジュール分、自宅待機を命じられてしまったのを口実に、そうすることにした――実際には家に帰るか分からなかったけど――けど、物事はそれほど上手く運ばなかった。

「あら、なのはちゃん。お久しぶり」
「あ……シャマル先生。こ、こんにちは」
「顔色悪いわよ、ちゃんと寝てる? 寝不足は身体に毒よ。あと、若いからっていっても、お肌が荒れちゃうわよ?」
「え、ええ。ご心配には。昨日も、日付が変わる前には」

 私の返事に、シャマルさんはいつも通りの、柔らかい笑顔で応えてくれた。

「今日は、どうしたんですか」
「どうしたのって、随分ね。連絡があったんだから。身体を見てやって欲しいって。それで来たんだから」
「……誰からですか?」
「一昨日、なのはちゃんを診た先生からよ。カルテがあるんだから、私の名前が出てきても、不思議じゃないでしょ?」

 シャマルさんは、腰に手を当てて「もー。しっかりして」と、怒ってるように見せる。
 本当に怒ってる訳じゃないって、それは分かるのに、私は今のシャマルさんが怖くて仕方がない。
 次に何を言われるんだろう――?
 その不安が、強く付き纏う。一昨日の、はやてちゃんのことを思い出す。
 動悸が、激しくなってきた……

「ほら、行きましょう? 今の内に検査しておかないと、ね?」
「は、はい……」
「スケジュールは聞いてるから。ゆっくりしましょ? 無理はよくないって、散々言われてるだろうけど」
「そう、でしたね」

 シャマルさんの手は、柔らかくて、温かかった。
 温かくて、柔らかくて、優しくて、それだけで……涙が出そうだった。

「ささ、そこへかけてリラックスしてね? いつものことで、勝手は分かってると思うけど」

 医務室に着いて、制服の上着を脱ぎ、タイを解いて、ブラウスのボタンを幾つか外し、ベッドの脇に腰掛けた。
 シャマルさんはいつも、リラックスしてね? と言うけれど、検査の後に色々言われちゃうのが分かってるから、中々出来るものじゃない。まだ、それなら良い。自分のことでお小言があるぐらいなら。でも、今回はヴィータちゃんのことがある。それを考えると、とてもじゃないけど、出来なかった。
 いつ、それを言い出すのか。
 シャマルさんの態度は、本当にいつもと変わらないけれど、それが逆に怖かった。

「じゃあ、始めるわね」

 緑色の光がベッドを包み、いくつもの環状魔方陣が、私の周りをぐるぐると取り囲む。
 自然と、身体の緊張が緩んでいくのが分かる。リラックスさせるための、魔法か何かを使っているのかも、といつも思う。でも、今はそれを素直に受け入れられない。私にそんなことが許されるんだろうかと、そんな思いが浮かばないこともない。
 昨日から、落ち着くたびに、様々な考えが頭を駆け巡り、巡り巡って、自分のことが嫌になってくる。

「う~ん、随分リンカーコアに負担が掛かってるわね。ブラスターモード……2ほどじゃないけど、かなりの負担よ」
「は、はい。すみません……」
「謝ることないわ。確かに、医者の立場からしたら、止めて欲しいことだけど、せずにはいられなかったんでしょ? 私は、なのはちゃんの判断を尊重するわ。一昨日の先生にも、注意されたでしょうから」
「そ、そう言っていただけるなら……」
「ギリギリを見分けるのって、中々出来ないものよね。平時でさえそうなんだから」
「い、いえ。そう言うんじゃ」
「自暴自棄にならず、しっかりと。立派よ、なのはちゃん」
「違うんです……!」

 途端に荒げた声に、シャマルさんは目を見開いていた。
 驚いている。
 私を遠まわしに非難してるんじゃないって、それは、分かってる。シャマルさんが、人を欺くような人でないって。だからと言って、私を案ずるような優しい言葉は、今は、辛い。
 ヴィータちゃんを、守れなかった私には。
 思い切って、非難してくれた方が良い。優しい言葉が、こんなに辛いなんて、思わなかった。葬儀のときには、なんとも感じなかったのに。それは、相手が違うからなのかな。

「……そう? でも、周囲は評価してるだろうし、余り卑下しちゃうと、助けた子たちが悪く思っちゃうわよ」
「……気をつけます」
「そうね。ガッカリさせちゃ悪いわ。なのはちゃんは、彼らのヒーローなんだから」
「ヒーロー、ですか」
「あ、ごめんなさい。女の子だから……ヒロイン、の方が良かったかしら? あ、でも――」

 小首を傾げながら、あれこれシャマルさんは考えているけれど、割とどうでも良いことのように思う。私は、そういう意味で言ったんじゃないし、興味がなかったから。

「ところで。やっぱり、ヴィータちゃんのこと、気になる?」

 なんの前触れもなく切り出され、驚くばかりで、なんの反応も出来なかった。
 でも、すぐにその言葉――ヴィータちゃん、というその名前――に、胸が握りつぶされそうな痛みを覚える。
 やっぱり、ヴィータちゃんの、本当の家族の口から、その名前が出るのは、辛い。

「……え、ええ」
「うん、大丈夫。一命は取り留めたわ。私たち、自分が思ってた以上に頑丈みたいで」
「そう、ですか」
「シグナムみたいに、エアバックでもついていれば、もっと良かったんでしょうけど。生憎、ヴィータちゃんはペタン子だから」

 とても口調が軽い。まるで、転んで膝を擦りむいたぐらいの、そんな軽さ。
 どういうつもりで、そんな態度なのか。正直、さっきから、シャマルさんの真意は図りかねる。演技ではないと思う。でも、だから余計にそう思ってしまう。演技でもなければ、どうしてそう、平然としていられるのか。
 私の前で、世間話をするかのように喋り続ける、その態度に、思わず尋ねてしまった。
 はぐらかされているようで、逆に辛かったから。

「……シャマルさんは、怒ってないんですか? 今回のこと」
「怒る? どうして、怒らなきゃいけないの? なのはちゃん、そんなことしたの?」
「…………」

 分かっているくせに――
 思わず、そう悪態を吐きそうになってしまう。でも、相変わらず、シャマルさんから悪意と呼ばれるようなものは、欠片も感じられない。
 一瞬でも、そう思ってしまったことに、激しく自己嫌悪に陥る。今、口を開いたら、とんでもないことを口ばしってしまいそうだった。

「…………」
「ふう。あのね、なのはちゃん。怒ってヴィータちゃんが目を覚ましてくれるなら、いくらでも怒っちゃうわ。でも、なのはちゃんにそんなこと、出来ないわ」
「そ、それは……」
「だって、急に話を振られて、今にも泣きそうな顔になるんですもの。本当に哀しんでる証拠よ? 咄嗟に出た行動は、本音だって思うんだけど、どうかしら?」

 シャマルさんは、そう言ってくれるけど、私には自信がなかった。
 帰ってきた日も、その次の日も、そして昨日も。私は至っていつも通りだった。いつものように起床して、朝ご飯を食べて、いつも通り仕事をして、いつも通り、ベッドに入った。
 やっぱり、私は悲しんでなんていないんだ。
 ぐらぐらと、世界が揺れる。あんな、初めて会った人の言葉に、どうしてここまで揺さぶられるんだろう? 仕事だけの付き合いの人と、私。私たちの、なにが分かるんだって、言えたはず。なのに――やっぱり図星だったから。
 全く、身に覚えのない話なら、否定できるはずなんだから。
 彼女の指摘した事実は、私が目を逸らし続けてきた、自覚があったはずの"事実"だったからなんだ。

「私はね。自分が出来ることを、今回は精一杯出来たわ」
「そう、でしたか……」
「もう、あんな想いは嫌だもの。一回で充分だわ。だから、私は、なのはちゃんにも、同じ想いをして欲しくないの。後悔なんて、しないように」
「後悔……」

 私を見つめるシャマルさんの心は、どこか別の場所にあるような気がした。

「なのはちゃんは、いつだって全力じゃない。私、そんななのはちゃんのこと、好きよ」
「そ、そんなの……私にだって、無理なことはたくさんあります。出来ないときも、たくさんあります」
「そうね。確かに、いつでもってのは、無理かもしれないわね。でも――ヴィータちゃんの傍にいるのって、そんなに無理なことかしら? そんなに、出来ないことかしら」

 にっこり。
 シャマルさんは、私に微笑みかけてくれるけど、胸の痛みは増すばかり。
 だって、私が隣にいたって、出来ることなんてなにも、ない。シャマルさんが駄目だっていうなら、私の出番はない。治療魔法を専門に習ったわけでもないし。傍にいたって、なにもすることがない。出来ない。
 そんな私が、頑張るって、なにを頑張るって言うんだろう。後悔がないようにって、まだこれから頑張れば良いみたいなことを言うけれど、残念なことに、今、その真っ最中なんだから。もう、遅いんだから。

「何も……出来ないです。ううん、何も、しなかったんです、私」
「報告は聞いてるわ。でも、あの時なのはちゃんに出来ること、なかったと思うの……厳しいかもしれないけど」
「……知っているなら、分かってると思うんですけど。今更、なにが出来るって言うんですか。この私に」
「う~ん。なのはちゃん、どうしちゃったの?」
「……なにがです」

 思わず、声に力が篭る。
 でも、シャマルさんは一向に意に介さないという感じで、話を続けた。

「今更ってことは、今の話よね? なのはちゃん。そんなこと言ったら、魔法を使えない人は、なんにも出来ないことになっちゃうわ。そんな風に、思ってたりしてるの? 違うわよね」
「…………いいえ。でも、私はお医者さんじゃ、ありませんから」
「私たちは魔法が使えるけど、それはほんの少しだけ、出来ることの数が多いだけ。だから、その他の大切な、その根っこの部分って同じだと思うの。これは、魔法を使える使えないに限らず、医者かどうかの話も、同じだと思うわ」
「根っこの……部分」
「そう。あの時、ヴィータちゃんが助けに来てくれるまで、なのはちゃんを支えてくれてたのは、なんだったかしら」
「……」
「普通、身体がこうなるまで、魔法を行使するなんて出来ないことよ。痛みに負けてしまうもの。何度も、止めてしまおうって思ったんじゃない? 症状を見れば、想像に難くないわ」

 ベッドに身体を横たえたままの私に、シャマルさんは、説教をするでもなく、諭すでもなく、静かにそう言った。
 あのとき、私を支えてくれたもの。それは――義務感だ。
 彼らを守らなきゃいけないって。あそこへ赴いたのは、私の勝手な判断だったけれど、教導官としての、責任というか。状況を知ってしまえば、動かざるを得なかったというか。
 一人でも多く助けたくて、必死に食いしばって、立ちはだかった。別に……それ以外、なにもない。

「私は、その……」
「悪いけど、その顔は違うなあ。なのはちゃん、楽なほうを考えてない? なるべく、自分が嫌だと思わない方向の」
「そんなこと、ありません。顔を見ただけで、そんな……分かる訳ないです」
「いつになく、素直ね。シャマル先生、嬉しいわ」
「からかわないで下さい」

 シャマルさんは、本当に楽しそうだ。もしかして、本当は凄く怒ってて、嫌がらせしてるのかな。
 ヴィータちゃんが、こうなった原因の人間が、こんなにも不甲斐ないものだから、怒ってるんだ――
 そんな風に、シャマルさんに対して、とても失礼なことを考えてしまうけど、そのときの私には、その自覚がなくなっていた。余裕がなくなってきていたんだ。
 急に、目の前の笑顔が、胡散臭く見えてきて、全部が、嫌になってくる。

「ヴィータちゃんでしょ? ヴィータちゃんが助けに来てくれないかなって。そう、思ってたでしょ?」
「……所属的に、ありえません。救援を要請したとしても、ヴィータちゃんの部隊が来る可能性は、物凄く低いです」
「う~ん。それを言われちゃうと困るわ」
「でも、本当のことですから」

 胸が痛い。ズキズキと、その痛みは増すばかり。
 やっぱり、まだ本調子じゃないんだ。シャマルさんも、相当負担がかかってるって言ってたし、きっと、そのせいだ。
 早く、終わらないかな――
 ズキズキ。
 鼓動にあわせて、痛みが広がっていく。
 この突き刺すような胸の痛みは、なんだか、普通じゃない。前にも、似たような痛みを感じた覚えがあるけど……はっきりとは思い出せない。でも、痛いことには変わりなかった。
 あのジャングルに居たときにも、同じような痛みが、胸を走っていたし、魔法の使いすぎによる、痛みなのかも。

「そっか。でも、それだって魔法の力だけじゃないでしょ? そういう、気持ちが大切なんじゃないかしら」
「……それは、分かりますけど」
「直接、私は聞いたわけじゃないけど、ヴィータちゃんだって、同じだったみたいよ」
「……」
「あんな無茶をしてでも、何としてでも、それをやり遂げたかった。それは、偏に、なのはちゃんへの想いだけだったんだから」
「……勝手な、想像なんじゃないですか」
「ううん。フェイトちゃんとシグナムに聞いたんだもの、本当よ」

 自信満々に、そう言いきった。
 フェイトちゃんか、シグナムさんが、ヴィータちゃんから直接聞き出したのか、詳しい事情は分からないけれど。
 私だって、その二人が嘘を吐いてるなんて、言うつもりはない。
 でも、それを素直に信じるほど、今の自分自身に自信がない。言われるような、私なのかって。
 結婚してからだって、ずっとそれが心配だったんだから。心配で、いつ離れてしまうかと思って、無理して買った結婚指輪が――
 今は特に、信用できそうになかった。

「陳腐な言葉だけど、ヴィータちゃんの好きな人のことだもの、私は信用するわ。個人的にも、なのはちゃんはそういう子だって、私は信じてる。なのはちゃんは、しっかりと、自分の成すべきことをやり遂げたって」
「そんなの、勝手です。私に、そんな期待されても、困ります」
「困ってくれないと困るわ。ヴィータちゃんと結婚したいって、そう言ったのは、なのはちゃんでしょ? ヴィータちゃんが助けた、なのはちゃん、なのよ?」
「…………」
「だったら、責任取ってくれなきゃ。はやてちゃん、それを聞いたら怒っちゃうわよ」

 グサリと来ることを、平然と言う。流石に、シャマルさんも怒ってるみたいだった。
 でも、意地悪を言うとか、そういう悪意を感じない。私の、この煮え切らない態度を、怒ってるみたいな気もした。
 そうだよね。
 ヴィータちゃんが、未だに目を覚まさないっていうのに、私はこの体たらくなんだもん。
 家族にしてみたら、腹立たしく感じるのは、当然。

「今は、自分を悪く思うことで、心の平静を保とうっていうのは分かるわ。でも、いつまでもそんなじゃ困るもの」
「そんなじゃ、ないです。事実ですから」
「そうね。でも真実じゃないわ、物事の一端ではあるけれど、それが全部じゃない」
「……シャマルさん、人から聞いただけですよね」
「ええ、そうよ。でも、そうだと言うなら、他の人にも聞いてみるといいわ。きっと、同じ答えが返ってくると思うけど」

 胸の痛みが治まらない。
 シャマルさんの言うことを、端から否定していってるのに、治まるどころか、酷くなる始末。
 ズキン、ズキン。
 鼓動に合わせて広がっていくそれは、いつの間にか、鼓動そのものが痛みになってしまっているように感じる。
 息をするのさえ苦しい。息苦しくて、空気を求めているのに、胸が苦しくて、呼吸そのものを拒んでいるようにすら思える。
 痛くて、苦しくて、涙が滲む。

「ねえ、なのはちゃん。あなたはきっと、ヴィータちゃんのことを、悲しめないことに戸惑ってるんじゃない?」
「それは、そんなこと……」
「そうかしら? 哀しくて、でもそんな自分が認められなくて。自分を悪く言うことで、バランスを取ろうとしてる」
「そんなこと、ないです。さっきから言ってる様に、事実なんですから」
「確かに、今は必要なことかもしれないわね」

 シャマルさんは、少し悲しげに、呟いた。
 そうじゃない。
 そうじゃないって言ってるのに、全然通用しない。シャマルさんの言葉は、「そうするのって、違うのよね」と、実感の篭った響き。
 何が、そうさせるのか知らないけれど、私の無自覚な本音らしいものは、見抜かれているようだった。

「ホントに、そんなことないんです。この三日間、私はいつも通りでした。何も変わらず、過ごしてます」
「それに、なのはちゃん。何も変わらず、なんて言うけど、ホントにそう? 一瞬でも、身体が止まってしまうことはなかった?」
「べ、別に……」
「あのね。別に泣き叫ぶことだけが、床に伏せることだけが、哀しむってことじゃないわ。ショックが大きすぎて、身体が、心が壊れてしまわないように、ずっと心の奥にしまってしまうこと、そんなに変じゃない」
「……どうして」
「ん? どうしたの?」
「――どうして、そんなことが言えるんですか!? ヴィータちゃんが、あんなことになってるのに! シャマルさんは、平然としていられるんですか!?」

 荒げた声に、シャマルさんは驚く素振りすら見せない。
 顎に手を当てて、考える振りをしている。
 そして――ゆっくりと、私に向き合う。
 シャマルさんの瞳は、優しい光が宿っている。

「だって、だってね、なのはちゃん。"あの時"のヴィータちゃんも、同じだったんですもの」
「――あの、とき?」
「あの、"事故"のことよ。あのとき、ヴィータちゃんは自分を苛めて苛めて、放っておいたら、それこそ死んじゃうんじゃないかって。なのはちゃんが、ああなったのは、自分が悪いんだって。自分を否定して、それ以外のこと、なにも考えられなかったの」
「ヴィータちゃんが、そんな……」
「黙ってるように言われたから、今まで言わなかったけど。今のなのはちゃんを見てたら、どうしても言いたくなっちゃって」

 申し訳なさそうに、シャマルさんは眉を顰めた。

「確かに、一緒じゃない。でも、自分を悪く言って、自分にはそういう価値がないんだって、そう否定してしまうのは、同じよ」
「…………」
「それじゃ、周りの人はどうなるの? あなたのことを心配している人の気持ちは?」
「……それが、重荷になることだって……あります」
「そうね。でも、今それを認められないわ。なのはちゃんは、悪くないんだもの」
「それが! それが……重荷だって、言ってるんです……!」

 流石に、ベッドから身体を起こさざるを得ない。
 違う、違うんだから。
 私は、そんな。そんな風に言われる資格なんて、ない。

「優しくされるのが、辛いのね。だったら、怒ってなんてあげないわ。そんな楽な方法、選ばせて上げない」
「シャマル、さん……」
「自分に原因を求めて、自分を悪く言うのは、そんなの何の役にも立たない。そんなの、認めない。そんなの――許さない」

 語気が強まる。

「ヴィータちゃんが、命がけで守った人は、こんなじゃないわ」
「で、でも! 誰にだって、弱いところはあります! 私だって、私だって、こんなの……」
「弱いことを受け入れるのと、弱いことに縋るのは、同じじゃないわ。今のなのはちゃんは、縋っているようにしか見えない」
「そういうときだって……あります」
「違うわ。それは、次へ進むためのものよ。でも、なのはちゃんは、その場に留まるために、そうしてる。そんなの、卑怯よ」
「くっ……!」

 悔しかった。
 誤魔化しきれない。シャマルさんのことも、自分のことも。だって、シャマルさんの言う通りなんだから。
 でも、私は自分を認められない。
 ヴィータちゃんを、あんなにボロボロになっても、私を助けてくれたヴィータちゃんに、なにもしようとしなかった私自身のことを。
 どうして、なにも出来なかったのか。何もしようとしなかったのか。
 それは――やっぱり、あの人の言う通りなんだ。そうとしか、思えない。
 そうじゃなきゃ、やりきれない。
 ヴィータちゃんが、あんなになってしまったのに、私が、こんな――

「なのはちゃん。あなたは、自分が思っているほど強い子じゃない。だって、まだ十七歳の女の子よ? いくら、管理局に勤め始めて、そろそろ十年になろうかっていう教導隊の一員だとしたって、まだ高校生の女の子じゃない。大切な、大好きな人が目の前であんなことになって、何も出来なくたって、それはなのはちゃんのせいじゃないわ。仕方のないことよ」
「で、でも! 私は、私は! そうならないように、そういう人が減るように、ずっと、ずっと、頑張ってきたんです! だのに、これじゃ意味がないんです! あのときに動けなきゃ、意味がないんです! そんな、何も出来ないんじゃ……なにも」

 私を受け入れるような、認めるような言葉は、認められない。
 ヴィータちゃんを、あんな目に遭わせて、みんなを悲しませるような自分を、認めるわけにはいかない。
 そう言ってるのに、そうなのに。
 目の前のシャマルさんは、私の傍に来て、強く、真っ直ぐな瞳で、こう言った。

「だったら、次に頑張ったら良いわ。今度こそ、そうならないようにしたら良い」
「でも、でも……ヴィータちゃんが、ずっと、ああだったら……?」
「そうね。まだ、予断を許さない状況よ。でも、きっと大丈夫。だって――」
「だって?」
「だって……ヴィータちゃんだもの。好きな人を泣かせたまま、知らん振りする子じゃないわ」

 ニッコリと、微笑んで。
 家族が、命を取りとめたとはいえ、この先どうなるか分からないのに――微笑んで、そう言った。
 信じられない。
 どうして、こんな風に、振舞えるんだろう。
 私が、もっとしっかりしていれば、こんな風にならなかったと言うのに。その本人に向かって、どうしてこんなことが言えるんだろう。今の私には、とても、理解できそうになかった。

「"あの時"のヴィータちゃんだって、そうよ? 次こそは、絶対に守ってやるんだって。そう、誓ったの。だから、あの時。ヴィータちゃんは来てくれたでしょ? なにをもっても、一番に、なのはちゃんのところへ」
「…………」
「だから、なのはちゃんだって、次にそうしたら良いのよ、次こそはって。だって、ヴィータちゃんは生きてるんですもの」
「…………」
「幾らでもチャンスはあるわ。それを、あなたが諦めさえしなければ。そう、諦めなければ、ね?」
「……」

 肩に置かれた手から、広がる温かさが、全身に広がる痛みを、少しだけ緩和してくれた。
 痛みをもたらしていた鼓動が、少しずつ、治まっていく。
 代わりに、目の奥が熱くなって、どうしようもない感情が、溢れそうになった。

「悲しめないことで、自分を悪く思わないで。それは、自然なことなんだから」
「……で、でも、私」
「そんな風にしないと、心が折れてしまうから。それだけ、哀しいってことの証拠よ。だから、ね?」
「……分かりません。でも」
「ゆっくり、向き合えばいいわ。時間はあるもの。言ったでしょ? ヴィータちゃんは死んでなんかいないんだから。こんなに悲しんでるなのはちゃんを置いて、どこかに行ったりするもんですか。その上、自分が泣かせたなんて知ったら、また寝込んじゃうかもしれないわね」

 ハンカチで、そっと瞼を拭ってくれる。
 それでも、視界は直ぐにじんわりと滲んでしまって、シャマルさんの顔がこんなに近いのに、はっきりと見えなかった。

「まだ、泣いちゃ駄目よ。しょっぱい涙は、もういっぱい流したでしょ? もし泣くなら、それはヴィータちゃんが目を覚ましたときに、とっておいて」

 そっと髪を撫ぜる、その優しい手が、嬉しいと同時に、凄く辛い。
 私に、ここまでしてくれた人の、その優しさを、否定しようとしていた。こんな優しい手を。
 実感できたからこそ、余計に辛かった。
 まだ自信はないけれど。でも、少しだけ、受け入れられそうな、そんな気がした。

「……済みません、シャマルさん」
「いいえ、どう致しまして。それに、お礼はまだ良いわ。だって、"これから"でしょ?」
「そう、でしたね」
「ほら、また泣いてる。そのまま帰られたら、シャマル先生に苛められたんじゃ!? とか、悪い噂が立っちゃうかもしれないもん。はい、これで良し」
「ご、ごめんなさい」

 困った風に「しれないもん」というシャマルさんは、いつも通りの可愛さだった。
 でも、私もシャマルさんとの年齢――外見年齢だけど――が近づいてきた今、なんだか可愛いとだけも、言っていられないような気がしているのも、確かだけど。
 それは普段の感想で、今じゃないけど。ホントに。

「さ、もう検査は終了よ。お疲れ様でした、なのはちゃん」
「はい、ありがとうございました」
「太鼓判は押せないけど、その表情なら大丈夫そうね。ああ、そうそう。身体の方は太鼓判押すどころか、本来絶対安静なんだから、そのつもりで。一昨日に診てくれた先生、怒ってたわよ~?」
「……はい、気をつけます」

 シャマル先生になった顔は、いつも通り厳しい。
 私は、いつも言うことを聞かない患者だから、特に厳しいのかもしれない。
 今日も、聞き分けがよくなかったし。

「気をつけて帰ってね。それと、ヴィータちゃんのこと、お願いね。私も仕事が終わってから、顔を出すけど」
「お世話かけます、シャマル先生」
「本当よ~。分かってるんだったら、普段から、もうちょっと聞き分けよくして欲しいわ」
「……ホント、ごめんなさい」
「だーめ。謝ったって駄目なんだから。ちゃんとするまで、しっかり見張っちゃうんだから。このクラールヴィントからは逃れられないわよ? うふふふふ……」
「うぅ……それは、重々承知しています」

 あの、リンカーコアを抜かれる感触。あれを一度味わった身としては、シャマルさんの言葉も冗談に聞こえないから困る。
 確かに、今のシャマルさんからは、逃れられそうになかった。
 でも、仮に逃げられたとしても、ヴィータちゃんと、向き合わなきゃいけないことには、変わりない。
 "あの時"の、話。
 それが、自信のない私の手を引いてくれるような、背中を、少しだけ押してくれるような、そんな気がした。


  


  
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