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新婚なの! 13-11 (4)


 今日も、朝一番に、ヴィータちゃんのところへ行った。
 身だしなみを整えて。特に、髪はしっかりと手入れをして。
 まだ食欲は戻らないし、一人での食事は味気ないことに変わりはないけど、頑張って食べている。身体だけでも、これ以上悪くするわけにはいかないから。
 ベッドに入ると、嫌なことばかり思い出すけど、魔法を使わず、目を瞑って眠ることを心がけた。魔法を使って寝てしまうのは、正面から向き合っていないような気がしたから。
 そもそもを言うと、家にいること自体が決して気持ちの良いことではないけれど、ちゃんと掃除をして、洗濯をして、一応玄関ドアのカタログにも目を通して。
 自宅待機を命じられていたけど、片付けなきゃいけない仕事もあるし、ちゃんと顔を出した。
 たった、四日のことだけど、いつでもヴィータちゃんが戻ってきて良いように、日常を心がけた。

「ヴィータちゃん、おはよ」

 朝の挨拶をするけれど、今日もヴィータちゃんは、眠ったまま。
 昨日、身体を拭くために病院着を脱がせたんだけど、それでも起きなかった。持ち上げた身体には、当然だけど一切力が入ってなくて、壊れてしまった人形のように、全部の間接がぐにゃぐにゃになってしまったみたいで。
 とにかく、重い。
 ヴィータちゃんの小さな身体は、こんなに重たかったかなって、記憶を辿ってしまうほど。重くて、重くて。いつも、壊れてしまいそうに思っていた、ヴィータちゃんの身体が、こんなに重たかったなんて。
 そして、それよりも衝撃を受けたのが、その起伏の少ない胸に刻まれた、深い傷。
 私は、成長期の前に傷を負ったけど、こっちの世界の形成外科学が発達してたおかげで、今はよく見ないと分からない程度になってる。意識することも、殆んどなくなってしまった。
 ヴィータちゃんは、どうなっちゃうのかな――その傷に、触れる指が震えているのが、呼吸が浅くなっているのが、自分でも分かった。
 もし、この傷が消えなかったら、どうしよう。
 もし、この傷が大きく残ってしまったら、どうしよう。

「……きっと、治るよね。あれから、また何年も経ってるんだし」

 シャマルさんは「何度か繰り返せば、綺麗に治ると思う」と、少し言葉尻を濁していた。
 確かに、試してみないと分からないだろうから、断言できないのは当然だけど、きっと、私に変な期待を持たせない為だったんだと思う。
 もし、治らなかったら。
 ううん。パッと見て、それが分かる程度だったら、私はそれを見るたびに、今度のことを思い出すんだろう。

「ヴィータちゃんには、そうならないよう、気をつけてたつもりなんだけどな」

 そんなに気をつけるなら、しなきゃ良いのに。なんてことは、何度も考えた。
 でも、手を繋いでいないと、抱きしめていないと、不安で仕方なかった。手にしたものが、ふと、いなくなってしまいそうで。いつだって、ちゃんとそこにいてくれるのか、確かめていないと、怖かった。
 お風呂のときは、なるべく後ろから抱っこするようにしてたけど、時々、忘れちゃってたような気がする。
 言ってることと、やってることが、チグハグなんだね。私は。
 きっと、私が不用意なことをするたびに、ヴィータちゃんは、あのときのことを、思い出していたのかもしれない。

「そうだよね。夜に、うなされてたぐらいだもん」

 何回目かの泊まりの夜、偶然それを耳にした。
 こっそり忍び込んだ部屋で、ヴィータちゃんは一人、布団をはね、汗に髪と寝巻きをべったりと貼りつけて、うなされていた。
 うなされて、なにかを求めるように、腕を伸ばし、でもそれは何も掴むことなく、宙を彷徨うばかり。その開かれたままの、私に比べて小さい手から、悔しさや無力感、怒りや哀しみが伝わってきた。
 そして、掠れるような、悔しそうに呼ぶ、私の名前――
 ヴィータちゃんの見ている夢は、間違いなく"あの日"のことだった。
 あれから、数年。
 未だにヴィータちゃんを苦しめていることが、途方もなく悔しかった。自分が苦しめていることに。そして、それに気付かず、とっくに終わったことにしていて自分に。
 ヴィータちゃんの中で、あの日のことは終わってない。まだ、続いていたんだ。ずっとずっと、心の奥底で、燻ぶり続けていたんだ。

「私は、ずっと甘えてたんだね。苦しめていることが分かってたのに、なんにも出来なかった。それどころか、ヴィータちゃんの好意を疑ってたりした。あんなことがあっても、本当に、私のこと、好いてくれているか、心配だった」

 ユーノ君の話を聞いて、私はどれだけ自分がバカなのかってことを、まざまざと見せ付けられた気がした。
 疑ってた。
 けど、ヴィータちゃんの態度のどこからも、それを読み取ることが出来なかった。
 それなのに、信用できなくて、小さなことで勝手に疑心暗鬼になったりして、その度にヴィータちゃんを試すように接してた。
 そして、いつも通りな態度を見て、安心して。
 それの、繰り返し。

「バカだよね、私。これじゃ、はやてちゃんに叱られちゃうのも、当然だね」

 結婚したいって、確かに、ヴィータちゃんのことを好きで言ったはずなのに。目的が、いつの間にか違ってて。一番、私が信じられてなかったのは、自分自身のことだったんだ。
 ヴィータちゃんを好きだって自分と、そのヴィータちゃんが好いてくれている私と。
 いつからだろう。
 そんな風に、自分に自信がなくなったのは。
 きっと、あの夜。ヴィータちゃんのことを知ったときかな。
 私自身の、想いの軽さみたいなものが、分かったからかも。ホントは違うよね。ホントだったら、そこで自分を見直して、ヴィータちゃんに近くなってなくちゃいけないのに。
 結婚しようって言ったのも、そもそも、ヴィータちゃんを試してたんだね――

「私。いつからヴィータちゃんのこと、好きだったのかなあ」

 ベッドの隣に椅子を並べて、腰を下ろす。
 眠っているヴィータちゃんの手を、シーツの上から捜す。
 重ねた左手は、とても小さい。
 私は大きくなったけれど、ヴィータちゃんは出会ったときの、八歳児相当のまま。当然だ。
 こんな小さな身体で、私のことを、ずっと守ってくれた。
 この前のジャングルのときだって、身体ごとで、私の盾になってくれた。
 受け止めた身体。一瞬あって、膝が砕けたように、動物ごと地面に崩れ落ちた。
 まるで、スロー再生を見るように、ゆっくりと目の前で繰り広げられる光景。
 そして、私はそのゆっくりと再生される光景よりも、動きが遅かった――いや、動けなかった。
 もし、万全なら身体は動いたかもしれない。
 でも、頭がそれを受け入れられなかった。
 目の前で繰り広げられる光景が、理解できずに、ただただ、見つめていただけ。
 その名を叫んで、周囲の制止を振り切ったのも、倒れたヴィータちゃんの周りに、血だまりが出来てから。

「こんなになるまで、私のこと、ずっと守ってくれてたのに。それを忘れちゃうなんて……薄情だね」

 病院着を脱がせたとき。
 胸の傷は深く残っていたけど、腕も、背中も、首のどこの傷も、表面上塞がっていた。
 バリアジャケット――ヴィータちゃんたちは騎士甲冑というけど――が、あれだけボロボロになるほどの、怪我だったのに。
 なんてことない。
 まるで、何もなかったみたいで、本当にただ、ヴィータちゃんは寝ているようにすら見える――この、胸の傷さえなければ。
 今回、私が負った傷も、まだ数回治療が必要で、それさえ受ければ、傷跡も綺麗に消えると言われた。それは安心だった。残ってしまうと、またヴィータちゃんに負担をかけてしまうだろうから。
 同時に、ヴィータちゃんの傷のこと。綺麗に治って欲しいと思う。それは、心から。でも、私は、ヴィータちゃんのように、その傷が消えても、今回のことをずっと忘れずに、覚えていられるだろうか。
 ヴィータちゃんへの気持ちを忘れてしまったように、簡単に忘れてしまうんだろうか。
 そう考えると、凄く、怖かった。
 怖くて、怖くて、それを否定するために、必死に記憶を辿ってみる。

「ねえ、ヴィータちゃん。大丈夫かな」

 初めはきっと、妹でも出来たような気でいたのかもしれない。
 ちょっと、周りにはいないタイプで、一緒にいると楽しいって、そんなようなことを、はやてちゃんに言った覚えがある。
 その後、幾らかして、ヴィータちゃんは「お前は無鉄砲だから」みたいなこと言って、私を守ってやる、なんて言ってくれた。
 あの時かな。
 ヴィータちゃんのことを、好きだなって、そう思ったの。
 それでも、フェイトちゃんやアリサちゃんや、すずかちゃんに比べて――まだ、はやてちゃんとは日が浅かったし――特別という風でもなかったように思う。
 私の中で、本当に特別になったのは、やっぱり、あの日かな。
 病院のベッドで、もう一度、私と約束をしてくれた日。
 今にも泣きそうな顔で、今度こそって、約束してくれた日。
 やっぱり、あの日なんだろうと思う。

「あれから、本当に迷惑ばかりかけて、我侭いっぱい言ったよね」

 ベッドの上にいたときも、ベッドから下りたときも。身体を動かす練習も、歩く練習も、魔法を使う練習も、空を飛ぶ練習も、ずっと。誰かが隣にいなきゃいけないって、だから、ヴィータちゃんは、ずっと隣にいてくれた。
 もちろん、フェイトちゃんだって同じだった。
 でも「もう、無理かもしれない」って言葉を、何度も漏らしそうになったのは、ヴィータちゃんの前でだけだった。
 ヴィータちゃんなら「バカ。そんなことぐらいで諦めるな」って、私を励ましてくれるのが、分かってたから。私がそう言いかけたときに、黙って手を引っ張ってくれるのを、分かっていたから。
 私は、この前のフェイトちゃんの話を、何食わぬ顔で聞いていたことに、今更、胸を痛めた。

「治ってからだよね。何だか、急に。ヴィータちゃんに、今までどおり相談できなくて」

 私に何かあるたびに、ヴィータちゃんは、心配にほんの少しだけ眉を顰めた。
 あれは心配性なんかじゃなくて、ずっとずっと、"あの日"のことが、続いてたからなんだ。それに気付いてはいなかったけど、そんなヴィータちゃんの顔が見たくなくって、今更、相談相手をフェイトちゃんに変えた。
 それを後押ししたのが、「大切な人の前では笑ってるんだ」って、ヴィータちゃんの言葉。

「変だよね、ホント。ヴィータちゃんのこと、好きなのに」

 そう言ってくれたヴィータちゃんに、何でも言える関係だったからこそ、ヴィータちゃんのことを好きになったのに。
 好きになって、なにもヴィータちゃんに言えなくなってしまった。
 それを、フェイトちゃんは知ってたはずなのに、今までも、ずっと変わらず私に接してくれる。大切だと言ってくれる。
 私は、なにも変わらないことを良いことに、ヴィータちゃんへの想いのために、フェイトちゃんを利用してたんだ。
 ヴィータちゃんと、フェイトちゃん。
 私は、二人を天秤にかけてたのかもしれない。
 ううん。かけてたんだ。

「今だってね。私は、みんなの助けがなかったから、今も家で一人、泣いてたかもしれない。ここまで来られたのは、ここに居られるのは、みんなのおかけだね。私は、一人じゃ何にも出来ないんだ。ごめんね、ヴィータちゃん」

 重ねていたヴィータちゃんの左手を、シーツの中から取り出した。
 小さな手の薬指に、自分の左手薬指に納まっているものと、同じ物が光っている。
 ヴィータちゃんへの気持ち、そうだったはずだと思い出せるのに、あのときの想いそのものが、蘇ってこない。
 怖い。すごく、怖い。
 柔らかくて、小さくて、強く握ったら潰れてしまいそうな、非力な手。いつもしていたように、握り締めてみても、心にぽっかりと開いてしまった穴は、埋まってくれない。余計に、その穴の存在を強く認識してしまう。
 どこかに、なにかを置き忘れてきたみたい。
 喪失感、とでも言ったらいいのかな。
 ヴィータちゃんが、目の前にいるのに、その体温を感じているはずなのに、その存在がとても、とても遠く感じた。

「ねえ、ヴィータちゃん。起きてよ、ねえ。私のこと、いつもみたいにバーカって言ってよ」

 両手でしっかりと、握り締める。
 記憶にある、手の温もりよりも、少し冷たい気がする。
 寝てばかりいるからかな。それとも、なにか別の理由があるのかな。
 そんなの、どっちでもよかった。
 大きな、深い海みたいな青い瞳が見たかった。
 ちょっと生意気そうな、声が聞きたかった。
 小さな身体を、嫌がられながら抱きしめたかった。
 バーカバーカって言われながら、ポコポコ頭を叩かれたかった。

「約束したでしょ、私を守ってくれるって。お願いだよ、ヴィータちゃん。起きてよ、ヴィータちゃん。私を守ってよ、ねえ」

 我侭なのは分かってる。
 無茶苦茶なことを言ってるのも分かってる。
 でも、口を開けば、自分のことばかり、情けない声と共にいくらでも溢れてきた。
 ヴィータちゃんがいないって事実が、外からは重く圧し掛かってくるのに、胸の中は、がらんどうとして、重さを感じない。
 寂しいんだ。
 寂しくて寂しくて、どうしようもない。
 みんなが、これだけ心配してくれているのに、一緒にいてくれるのに、世界にたった一人きりのような錯覚に陥ってしまって、それが暴風雨のように荒れ狂い、周囲を覆いつくしている。
 ちょっとでも油断すると、それに飲み込まれてしまいそうになって、周りが見えなくなってしまう。
 早く帰ろう? ヴィータちゃん。
 ここは、ここは嫌だよ……

「みんな、待ってるよ、ヴィータちゃんが目を覚ますの。もう直ぐ、今年が終わっちゃうよ。大掃除もしてないし、御節は去年どうしたっけ。今年は、海鳴にも帰らないと。今から休暇の申請、間に合うかな? 年が明けたら、私も仕事に出なくちゃいけないだろうし、こうして、毎日会いに来られなくなっちゃう。仕事が終わって、一人の家に帰るのは寂しいよ……」

 握った手に、額を重ねる。
 口から漏れる言葉は、自分のことばかり。ヴィータちゃんの心配なんて、これっぽっちもない。
 ヴィータちゃんは、自分を押し殺して、私のために頑張ってくれたっていうのに。だから、私もそれに応えたいのに。
 私は、自分の寂しさに、ぽっかり開いた穴の冷たさに、その痛みに、耐えられなかった。

「こんなに寂しいだなんて思わなかった。ヴィータちゃんと、ほんの十日間、会えないだけなのに。私の中に、なんにもない。なくなっちゃった。ヴィータちゃんだけだよ。誰も代わりにならない。私には……ヴィータちゃんだけだよ」

 ヴィータちゃんに会えない日々を、改めて思い返す。
 何もない。
 ヴィータちゃんが、いつ目を覚ましても良いように、準備をしてたはずなのに……何もなかった。
 何かをしている振りをして、誤魔化していただけ。
 何もない。ただ、息をしているだけ。
 今の私には、ヴィータちゃんがいてくれなきゃ、何にも出来ない。

「こんなの、似合わないよ。黙って寝てるだけなんて、ヴィータちゃんらしくない。何か言ってくれなきゃ。みんな、待ってる。仕事が忙しくて、会いに来られないけど、みんな心配してるよ。もちろん、私も……たぶん。元気な姿が見たいよ。可愛いって言いたいよ。嫌がるだろうけど、思い切り抱きしめたいよ。余り言ってなかったけど……好きだって、聞いて欲しいよ」

 握った小さな手の、指輪を手でなぞる。
 今の私にとって、目に見える繋がりは、これだけ。
 嘘みたいだった。
 こんなものじゃ、何も繋ぎとめることは出来ない。自己満足に過ぎない。
 それなのに、ヴィータちゃんはとっても、これを大切にしてくれた。
 "私との結婚指輪"だって、大切にする方法を、考えてくれてた。
 私より、ずっとずっと、まるで私自身にするように、大切にしてくれてた。

「もう、我侭言わないって約束したら、起きてくれるかな。ちゃんと、言うこと聞くから。無茶しないって約束したら、起きてくれるかな。心配かけないって、もう無鉄砲なことはしないから。頼りきりだったけど、家事ももっと手伝うから。嫌なら、抱きついたりしないから、キスだってしないから。だから、起きてよヴィータちゃん。好きだよ、ずっと、ずっと前から。忘れたりしないから、誤魔化したりしないから。自分のこと」

 目に見えるものだけ、手に触れることが出来るものだけ。
 それだけが、事実だから。確かなものだから。
 こんな私の、不確かな、目に見えないものなんて、信じられない。

「……一人じゃ、寝たくないよ。あのベッド、確かに一人用だけど。一人じゃ大きすぎる。広すぎるよ、二人じゃなきゃ。ご飯、美味しくないよ。ヴィータちゃんの作り置き、美味しいけど。一人で食べても美味しくない。痩せちゃうよ、このままじゃ。抱きしめたいよ、ヴィータちゃん。でも、そんな風に寝てるんじゃ意味ない。思い切り抱きしめれない。起きててくれなきゃ。好きだよ、ヴィータちゃん。でも、独り言じゃ嫌だよ。バーカって言っても良いから、ちゃんと返事してくれなきゃ。キス、したいよヴィータちゃん。嫌がる頬に、毎朝するの、嬉しかったんだから。柔らかい、その頬っぺたじゃなきゃ。キス、してほしいよヴィータちゃん。いつか、してくれたとき。もう一日仕事が手につかないぐらい、嬉しかった。嫌だよ、してくれなきゃ」

 でも、口にしてみると、不思議だった。
 想いが溢れてくる。
 そのとき感じた想いがあふれて、まるで、時間が巻き戻ったみたいに。

「私、このままじゃ動けない。なにも守れないよ。ヴィータちゃんが助けてくれたのに、ちゃんと、約束守ってくれたのに。私は守れそうにないよ。もう、誰の前でだって、笑ってられない。ヴィータちゃんがこんなになってるのに、私だけ……笑ってられないよ」

 鼻の奥がツンとする。
 目の奥が熱くなって、行き場を失った熱が表にあふれ出す。胸からあふれる、想いのように。
 シャマルさんに言われたけど、我慢できなかった。
 ヴィータちゃんの手を握ったまま、ベッドに顔を埋める。
 後から後から溢れて、止まらなかった。
 ヴィータちゃんが好きで好きで、今更に、大切にしたいだなんて思っても、それが遅すぎて、取り返しがつかなくて。
 もう、どれだけ想い続けても、強く想っても、それが遅くて、遠くて、届かなくて――

「私のこと、嫌ってくれて良いから。それでも良いから、目を覚まして、ヴィータちゃん。好きだよ、ヴィータちゃん。大好き。ヴィータちゃんが元気なら、それで良いから。なにも、いらないから」

 誰に届くことのない、耳に届くことのない言葉。
 今更過ぎるこの言葉と、想い。もしこれが届くなら、なんでもしたかった。そんな魔法が、欲しかった。
 ヴィータちゃんが元気でいてくれるなら、それでいい。
 はやてちゃんが待ってる。ヴィータちゃんが元気に帰ってくるのを。
 フェイトちゃんが待ってる。シグナムさんも。
 待ってない人なんていない。
 みんなみんな、ヴィータちゃんのことを待ってるんだから――

「……ねえ、起きてよ、ヴィータちゃん。嫌なら、離婚だってしていいから。もう、会えなくたって良いから。ねえ、ヴィータちゃん――」
「……言ったな、なのは」
「うん、約束するから。ヴィータちゃんがそれで良いなら、私、なんだってするから……」
「おい、レイジングハート。ちゃんと録音しただろうな?」
「――えっ……?」

 レイジングハートの応える声に、訳も分からず、顔を上げる。
 そこには、私の顔を見つめる――ヴィータちゃんがいた。
 病院着で、髪形も違ってるけど、いつも通りの青い瞳で、私のことを見つめてくれていた――


 


 真っ暗だった。
 身体の感覚もなくて、自分がどこにいて、どうしているのか、何も分からなかった。
 でも、声だけは聞こえた。
 それが口に出されたものなのか、念話のようなものなのかは、分からないけど。
 そんな状態でも、なのはの声だけは聞こえた。
 他には、はやてのことが、ぼんやりと分かるだけで、声までは聞こえなかった。

 なのはは、泣いてた。
 ずっと、ずっと、泣き通しだった。身体中の水分が、涙になってるんじゃないかと思ってしまうほど。
 小さな、見たこともない小さななのは。たぶん、アタシより小さい。
 そんななのはが、うずくまって、自分のことを抱えるようにして、泣いてた。
 泣くなよって、そう言いに行こうとするのに、アタシの身体は消えてしまったみたいに、どこにもなくて、なにも出来なかった。
 ただ只管、小さななのはが、泣き続けるのを、見ていた。

 その内、泣き疲れたのか、うずくまったまま、動かなくなってしまった。
 そのまま、ずっと。微動だにしない。
 自分の身体を抱えたまま、なにもせず、うずくまったまま。
 どうしたんだって、聞きたかったけど、身体はないし、どうやら声も出ないみたいで、何も出来なかった。
 死んでしまったんじゃないかと、心配になったけど、どうすることも出来ない。
 ただ、なのはの存在だけは、感じられていた。
 もどかしい。

 どの位時間が経ったのか。
 物凄く長い時間なのか、はたまた一瞬なのか。それは分からない。
 うずくまっていたなのはが、のろのろと身体を起こした。誰かに呼ばれたように。
 その声に向かってなのか、頼りない、歩くことを覚えたばかりのような足取りで、歩き出した。
 最初は真っ直ぐ歩いていたというのに、直ぐに足取りは弱くなり、行く当てもないかのように、右へ左へと流れている。
 そして、時折立ち止まっては、俯いて、また泣いているようだった。
 相変わらず、アタシは何も出来ない。
 苛々する。

 一頻り泣いたのか、なのはは、また歩き始めた。
 幾分か、足取りはしっかりしているけど、相変わらず、行く当てはないような足取りだった。
 でも、なにか探しているようにも見える。
 どっちだろう? こんな真っ暗な中で、なにを探せるのか知らないけど。
 でも、なのはは足を止めなかった。
 アタシは、それを見ることしか出来ない。
 ムカつく。
 
 また幾らか時間が経った……気がする。
 相変わらず、なのはは何かを探しているように見えた。でも、さっぱり見当も付いていないようだった。
 何を探してるのか。
 もし、なにかを探しているんだとしたら、手伝ってやりたいのに、こっちの声が聞こえないのか、アタシの存在に気がつかないのか、さっぱり近づいてこない。やっぱり、アタシは消えてしまったのだろうか。
 でも、真っ暗な中、なのはの存在だけは、はっきりと見えた。
 段々、我慢できなくなってくる。

 疲れてきたみたいだ。
 なのはの動きが、また鈍ってきた。
 足取りは弱弱しくなって、猫背になって視線が下を向きがちになったかと思うと、その場にしゃがみこんでしまった。
 一向に動く気配がない。
 今までと雰囲気が違う。もう、二度と動かなさそうに見えた。若しかしたら、このまま死んでしまうんじゃないか。
 声を上げた。
 心配になって、怖くなって、なのはの名前を叫んだ。
 全く反応がない。
 聞こえてないのか? そもそも、アタシの声自体が出てないのか?
 どっちでも良いや。とにかく、なのはの名を呼んだ、叫んだ。もう、我慢ならなかった。
 なのはの声が聞こえてくる。
 でも、それは声じゃなくて、声にならない声というか、感情そのものというか、とにかく、言葉にならないものだった。
 ――泣いてる。
 泣いてた、泣いてる。
 どうしようもない何かに、大きななにかに押しつぶされそうになって、どうしようもなくて、どうにもならなくて、泣いてる。

 なのは、こっち来いよ。
 そんなところで泣いてんじゃねーって。
 どうしたんだよ、どっか痛いのか? また、なんか哀しいことでもあったのか?
 こっち来いよ、黙ってちゃ分からないだろ。
 泣いてるのは分かったから、とにかくこっち来いって。

 声が聞こえた。
 想いが、伝わってくる。
 様々な色が見え隠れはするけれど、ほぼ一色に塗り固められた想いが、辺りを染め上げていく。
 どういう色か、口では説明できないというか、元より存在する色なのか、どうにも言葉に出来ないんだけど、とにかく、なのはの言いたいことは、その想いは、痛いほど分かった。
 ――アタシのことだった。
 何を理由にしているのか、それも様々だったけど、とにかく、アタシのことを呼んでた。
 それが、辺りを全て支配して、アタシを包み込んでいた。

 なのは、アタシはここにいるぞ。
 どこ見てんだ、アタシはこっちだって言ってるだろ。
 手を伸ばす。
 届かない。
 もっと伸ばす。一歩、踏み出す。
 まだ、届かない。

 泣きながら、アタシの名前を呼んでる。泣いて、泣いて。その合間に、アタシの名前を呼んで。
 アタシは、ここだ、なのは!
 必死に手を伸ばした。傷だらけの、なのはに向かって。
 必死に足を動かした。泣いたまま動けない、なのはに向かって。
 今までおぼろげで、はっきりしなかった身体の感覚が、はっきりしてきた。
 腕が、手が。
 脚が、足が。
 口が、唇が。
 全てが、なのはを求めていた。
 アタシより小さいのに、傷だらけで、涙に暮れて、動けなくなってしまったなのはに向かって、アタシを呼ぶなのはに向かって、必死に走り、腕を伸ばした――


  ◆


 なのはの声が、近くに聞こえた。
 なにか喋ってる。
 喉が震え、空気を伝わって、アタシの耳に届く、声が。

「……ねえ、起きてよ、ヴィータちゃん。嫌なら、離婚だってしていいから。ねえ、ヴィータちゃん――」
「……言ったな、なのは」

 目を開ける前に、返事をした。
 返事が出来た。声が、出る。

「うん、約束するから。ヴィータちゃんがそれで良いなら、私、なんだってするから……」
「おい、レイジングハート。ちゃんと録音しただろうな?」

 瞼を、上げる。
 見覚えのあるようなないような光景だったけど、どうでもいい。
 アタシの目の前には、蒼い目を真っ赤に腫らして、涙を流し続けている、なのはがいたんだから。

「――えっ……?」
「なに泣いてんだよ、なのは。なんか、あったのか?」

 まんまるに見開かれた目。
 なにかを言いたそうに、開かれて口。
 痛いほど、アタシの手を握った、手。
 何があったのか知らないけど、なにかあったに違いない。
 ただ、それを聞いただけなのに、

「……な、なにかって、なにかって……ヴィータちゃんが、ヴィータちゃんが!」
「んぎゅー!」

 いきなり抱きつかれた。
 圧し掛かってくる。
 重い。それに、全身が軋むように痛い。ガチガチで、動かそうとすると、全身がそれを止めろと訴えてくる。
 それでも、なのはの背中に、腕を回した。

「ヴィータちゃん、ヴィータちゃん!」
「ああ、分かったよ、それは。だから、どうしたんだって、聞いてるだろ。言わなきゃ分からねーだろ」
「ヴィータちゃん、ヴィータちゃん……!」
「泣いてちゃ、分かんねーぞ。それによ、痛いって、放してくれ。息が詰まる」

 泣いて、泣いて。
 なのはは声を上げて泣いた。こんな風に泣いたとこ、見たことがない。
 かろうじて、アタシの名前を呼んでいることだけは、分かるけど、それ以外は全く言葉になってなくて、分からなかった。
 こんなじゃ、話を聞くのは無理だって、少し落ち着くまで、仕方なく待つことにした。
 泣き声と、涙と、抱きしめる腕。
 さっきまで、見ることしか叶わなかったなのはが、そこにいて、それを感じることが出来る。
 小さくない、なのは。
 身体ばかり大きくなって、中身は、あの暗闇の中で泣いていたなのはと、ちっとも変わってないのが伝わってきた。
 だから、少し、このままでも良いと思った。

「……どうだ。ちょっとはスッキリしたか」
「…………うん」

 鼻と目元を真っ赤にしながら、なのはは、なんとか落ち着いた。
 ちり紙がないから、仕方なく、病院着の袖で拭ってやろうかと思ったけど、短くて上手く出来ない。
 それには、まず、身体を起こさなきゃいけないんだけど、痛みに縛り付けられているみたいに、ベッドから動けなかった。

「いっ……てて」
「あ、だ、駄目だよヴィータちゃん。まだ寝てなきゃ」
「良いんだ。ほれ、ちょっと手、貸せよ。起してくれ」
「あ、そうだ。ベッドを起こしたら良いよ。ほら」

 ベッドの脇に設置されたボタンを触って、なのはがベッドを起して、アタシの身体を起こしてくれる。
 それでも、押されるように起される身体は、キリキリと痛むものだから、なのはは、慌てて背中を支えながら、身体を起すのを手伝ってくれた。
 大きくなったなのはに比べて、アタシは小さいままだから、それほど苦労もない。
 身体中が痛い。
 腕もそうだけど、特に胸がズキズキと、何か刺さっているんじゃないかってほどに。
 でも、今はそんなことより、なのはのことだった。

「どうしたんだよ、そんなに泣いて。なんかあったのか?」
「……なにがって。何があったじゃないよ! ヴィータちゃんが、倒れて、ずっと今まで目を覚まさなかったんだよ!」
「……ふーん。そんで、病院にいるのか。全然気付かなかった」
「あ、あんな怪我をしたら、当たり前だよ!」
「そんなこと言ったってさ。あんときのアタシには、お前のことしか頭になかったからさ」

 握ったままの手に、力が込められる。
 アタシを見つめる空のように蒼い瞳が、また、曇り始め、涙が、大粒の涙が溜まり始めた。

「……ううぅ、ひっ、うぇ、ヴィ、ヴィータ……ちゃん」
「な、なんだよ。まだ泣くのか? よくもそんだけ、涙が出るもんだな」
「……だって、そんなこと……言ったって」
「まあいいや。ところでさ。さっき離婚がどうとか言ってたな。それってよ、どういう意味だ?」

 肩が震えている。
 溜まり始めていた涙は、ついに決壊して、頬を伝って、教導隊の制服を再び濡らし始めた。そのまま、下を向いてしまって、アタシからは、旋毛が見事に見えているだけになってしまう。
 それでも、しゃくり上げながら、なんとか、口をきいてくれた。

「……あ、あのね。あのね、ヴィータちゃん」
「ああ、なんだよ。なのは」
「……私ね。ヴィータちゃんが眠っている間、ずっと考えてたの。色んな人に言われてね」
「ふうん」
「それでね、やっぱり私は、ヴィータちゃんに相応しくないんじゃないかって。私は嘘つきで、ヒドイ人間だから。ヴィータちゃんと居たら、ヴィータちゃんを不幸にするだけなんじゃないかって」
「……それを、考えてたのか?」

 しゃくり上げながらも、なのはは、ゆっくり頷いた。

「あっそ。んで、アタシと離婚するって言うのか?」

 再び、ゆっくり頷くなのは。

「――駄目だぞ、なのは。そんなの。アタシは離婚する気なんてねーぞ。絶対に認めないんだかんな」

 はっとして顔を上げるなのは。
 涙だけじゃなく、鼻水まで垂らして、ぐちゃぐちゃな顔で、意外だと言わんばかりの表情で。
 情けない。
 これじゃ、絶対に管理局の広報には写真を載せられないな。
 アタシは、その方が良いけど。

「――だ、だって、だって! あのときね、私ね。ヴィータちゃんの言いつけ、守れなかったんだよ? 飛び出しちゃったんだよ? なんにも出来なかったんだよ?」
「そんなの、いつものことだろうが。お前が、アタシの言うこと、大人しく聞いた事があったか?」
「で、でも! 今回は話が違うよ! そんなに、大怪我したのに!」
「お前は、それを気にしてるかもしんねーけど。アタシは大して思っちゃいねーよ。だから、別に良いんだ」
「そんな、そんな! 無理すぎる! 無茶苦茶だよ!」
「アタシが大丈夫だって言ってるんだ、だから、それで良いんだよ。それに、あの怪我は、アタシが勝手にやったことだ」
「違う!」
「違わない。お前が飛び出したのは、アタシが倒れた後だろ? だから、問題ねーよ」

 必死にかぶりを振るなのは。
 ホントいうと、あの前後の記憶が定かじゃなくて、想像で喋ってるんだけど。
 でも、考えてることは本当だ。
 アタシは、あれをなのはのせいだなんて、これっぽっちも考えちゃいない。

「じゃ、じゃあ! 私、ずっとヴィータちゃんに嘘ついてたんだよ? 約束破って、ずっと!」
「ああ、知ってる。それぐらい」

 驚きに、なのはは、目をまん丸にする。
 でも、直ぐに気を取り直したらしく、

「ヴィータちゃんに内緒にしてたことも、いっぱいあるんだよ?」
「ああ、知ってる」
「フェイトちゃんと内緒で会っててね、ヴィータちゃんには会ってないって、嘘吐いてたんだよ?」
「ああ、知ってる」
「仕事のことも、ずっとずっと、嘘ついてたんだよ?」
「ああ、知ってる」
「もしかしたら、全部嘘かもしれないんだよ?」
「そんなの、知ったこっちゃねえ」
「……ホントは……ホントは、フェイトちゃんの方が好きだったら? ヴィータちゃんがフェイトちゃんの代わりだったら?」
「別に。構やしねーよ」
「え、えっと……他にも、他にもいっぱいあって、今すぐには思い出せないけど、いっぱい、いっぱいヴィータちゃんに嘘吐いて――!」
「だから、知ってるって言ってるだろ。全部、分かってんだよ。お前のことは」

 堰を切ったように話すけれど、全部肯定してやった。
 なのはは、言うことがなくなったのか、一気に喋りすぎて、喉が詰まったのか知らないけれど、黙ってしまう。
 ざまあ、みろ。

「なのは。お前、そんなことぐらい、アタシが気づかなかったとでも思ってるのか? だったらな、バカにするなよ。そんなの、初めから全部お見通しなんだよ。なんたって、お前ほど分かりやすいヤツはいないんだからな。嘘を吐くなんて無理なんだよ」

 嘘八百も良いところだった。
 フェイトに言われるまで、気付かなかったんだからさ。
 でも、それだったら、なのはも嘘を吐いてたっていうんだし、お相子だ。
 たまに、嘘吐くぐらい構うもんか。

「分かりやすいヤツだって、いつも言ってたろ? まかさ、アタシの言うこと信用してなかったのか?」
「…………うん」
「酷いヤツだな。嫁のいうことぐらい、信用しろよ。お前にはな、なのは。嘘を吐くってのは、あんま相性の良いことじゃねーんだよ。お前は騙してるつもりかもしれないけど、みんな好意で騙された振りをしてくれてんだよ」
「……ホントに、気付いてた……?」

 頷くアタシに、なのはは、それでも信じられないという顔をしていた。
 そりゃあ、嘘なんだし、その反応で正しいんだけど、正しいことにしてやらない。間違いにしてやる。
 嘘なんて、相手にバレなきゃ本当のことなんだ。
 だから、アタシは意地でもこれを本当だって言い通す。
 本当のことに、してやるんだ。
 本当のことにしてしまえば、嘘なんてなくなるんだからな。

「ああ、そうだよ。だからな、なのは。アタシは、そんなの百も承知で結婚したんだ。離婚なんてするつもりはねーぞ」
「で、でも。私と一緒にいると、ヴィータちゃんは不幸になるって、それで」
「ホントにそんなこと思ってんのか? 随分ふざけた事いうな、なのは。本気でそんなこと思ってんのか」

 アタシの言葉に、なにか言いかけた口は、固く結ばれてしまう。
 その沈黙は、否定だ。
 ここまできて、本音を隠す必要もない。

「誰に何を吹き込まれたか知らねーけどな。アタシが良いって言ってんだ。それともなにか? お前は、アタシより誰かそんな訳分からないヤツのことを信用するのか?」

 黙って、下を向いていたなのはは、弱弱しくも、頭を振った。

「だったらそれで良いだろ。アタシは、最初から分かってて結婚したんだ。アタシは、お前と離婚する気なんて、これっぽちもねーからな。大体、なのはから言い出した結婚だろ。そんな身勝手許してやんねーから」
「…………でも」
「デモもストもねーよ。お前が離婚したいって言っても、アタシは離してやんないぞ。判子も押さないからな」
「…………だって」
「なのは――」

 重ねられるだけになった、なのはの手を握り返す。
 すっかり冷たくなってる手。
 でも、薬指に、結婚指輪が納まっているのが見える、指をなぞって、確かめる。
 本当にそのつもりなら、指輪なんて付けてないだろ。
 いつも、詰めが甘いな、なのは。

「アタシの傍にいたら良い。約束したじゃないか、私を守って欲しいって。なんだ、アタシを嘘つきにするつもりか?」
「……」

 なのはは、黙ったままだけど、さっきより強くかぶりを振った。
 ホント言うと、情けない話だ。
 フェイトに手を引っ張られ、シグナムに背中を押されなきゃ、アタシはあそこで間に合わなかった。
 アタシは、あんな風に平然と、さも当たり前のように、行動できなかった。
 もし、二人のどちらかがいなくても、なのはは、ここには居なかったかもしれない。
 だから、今度こそ。
 誰の手も借りない。
 アタシは、ちゃんと、なのはのことを守ってやるんだって、伝えるんだ。

「約束したからじゃない。そんなのがなくたって、アタシはお前を守ってやるさ。お前が嫌だといったって、アタシが愛想を尽かすまではな。たまには、アタシの我侭に付き合ったって、バチは当たらないぞ」
「……こんな私でも、尽かさないの?」
「ああ。こんなことぐらいは、折込済みだ。こんなことぐらいでへこたれてちゃ、お前の嫁は務まらねーよ」
「……こんなことって、そんな、大怪我過ぎるよ。死んでたかも知れないんだよ?」
「でも、死んでないだろ。アタシたちは、身体の出来が違うんだ。これぐらいで……なのはを置いて、先に死んだりするものかよ」
「…………ホントに?」
「ああ、本当だ」

 やっと上げた顔は、やっぱりぐちゃぐちゃで、情けないにも程がある。
 でも、少しだけ口元が柔らかくなっていた。
 溢れる涙も、少しだけ量が減っていた。
 力のない蒼い瞳に、光が戻っていた。
 握り締める手を、握り返す指に、少しだけ力が戻っていた。

「結婚して、たった三ヶ月、こんなに早く離婚したら、笑いもんだぞ」
「……笑われたっていいよ、私は」
「アタシは嫌だね。同じ部隊に、そういうのが大好きなヤツが居るんだ。アイツに笑われるなんて、考えただけでもゾッとする」
「……そうかもね」
「だろ。まあ、それは別にいいけど。まだ、たった三ヶ月なことには変わりないだろ。まだ、これからなんだぞ、アタシ達は」
「でも、ヴィータちゃんと一緒に暮らして、それはずっと前からだよ。そのときからだよ」
「そんなの、知らねえ」

 なにが、なのはをここまで追い込んだのか知らない。
 もし、なのはの言ってることが本当だとしても、アタシにとって、それは本当じゃない。
 真っ暗な世界の中で、ずっと見てた、あの傷だらけの身体を引き摺って、泣きながら彷徨う小さななのはが、頭から離れない。
 きっと、あれが"高町なのは"なんだ。
 確証とか、根拠とか、そんなのはない。
 だけど、ジャングルの中で感じたように、あの小さななのはから、存在を強く感じた。
 なのはの、もっと深いところ。
 魔導師の高町なのはでも、我侭言ってる高町なのはでもない。
 あれこそが、"高町なのは"なんだって、思えてしょうがなかった。
 今、目の前にいるのがそうだ。
 泣いて、不安で、臆病で、誰かを求めて彷徨ってるのに、相手のことを想って、その足を止めようとしている。
 そんなこと分かってて、この手を離せるわけがない。
 アタシの我侭だって言われたって、知るもんか。

「だからさ。たまには、アタシの我侭も聞けよ、なのは」
「…………」
「フェイトにも、ユーノにも、アタシになにかあったら頼むって言ったけどな。譲る気なんて、塩一つまみほども持ち合わせてねえよ。あれは社交辞令だ。二人が知ったらガッカリするかもしれないから、黙ってろよ」
「……ホントに、いいの?」
「何でもするって言ったじゃねーか。アタシが、目を覚ますなら、元気になるなら何でもするって。あれは、嘘か?」
「……違う、違うよ! ホントに、そう思ってたんだから!」
「そうだろ。なら、アタシの言うこと聞けって。離婚はなしだ。お前はアタシの傍にいろ。そんで、いつもみたいに笑ってりゃいい」
「…………うん」
「大切な人の前では笑ってるんだ。なら、アタシの前でも笑ってろ。そんで、今日からは、アタシにも泣き言言え。良いな」
「…………うん」
「新婚なんだぞ。新婚だっていえる内は、なしだ。再来年には、新しい部隊も始まる。忙しくなるんだぞ」
「……うん」
「そういうの、全部終わってから……それから考えるか。もし、そのときまで、同じ気持ちだったらな」
「うん」

 ようやく、少しだけ調子を取り戻したかのように見えた。
 ホント言えば、こんななのはの不安に気付いてやれなかった、アタシの責任だ。
 嫁だって言って、ずっと近くにいたのに。
 でも、そうそう同じ失敗を繰り返すつもりはない。
 これからも、一緒にいるんだ。挽回するチャンスはいくらでもある。

「あ、あのね、ヴィータちゃん」
「うん? なんだ、なのは」
「あのね……好きだよ、ヴィータちゃん」
「……ああ、分かってるよ」
「ホント? 私、本気だよ。ヴィータちゃんのこと、一番好きだよ」
「分かってるって。なのはの声だけは、ずっと聞こえてたからな。真っ暗な中でも、ずっと」

 背中に回された手が、恐る恐る、アタシの右肩を掴もうとしている。
 アタシの左手を握り締めた手も、震えているのが分かる。
 なにがしたいのか、分かった。
 いつもやってることだからな。いい加減分からないといけないか。
 踏ん切りがつかないのか、なのはの手は、一向に目的を果たそうとしない。
 仕方なく、アタシから動いてやることにした。

「あっ――」
「こうしたいんだろ。アタシも、いい加減身体起こしてるの辛いからさ。そろそろ、寝転びたい」
「――うん。ごめんね、ヴィータちゃん……!」

 ネクタイを引っ張ってやると、そのまま倒れこんできた。
 圧し掛かられるのは、重いけど、身体を起こしているよりはマシだ。

「あんま強くされると、痛いから、ほどほどにしてくれ」
「うん……」
「シーツは、頼めば交換してくれるだろうから、泣いてもいいぞ」
「うん」
「やっぱ、ちょっと痛いから、横になってくれ。それに、息苦しいし」
「うん……!」

 ゴロンと寝返りを打って、横向きになる。
 なのはの顔が、近い。すごく、久しぶりな気がする。
 意識を失っていたんだから、倒れた日から今日までは、アタシにとっては一瞬の出来事なんだけど。
 それでも、なのはの顔を、こんなに近くに見るのは、久しぶりだった。
 今までアタシが見ていたなのはより、少しだけ、面長だ。
 腕も、しっかり背中まで回ってる。
 胸に、ふわりとした感触が押し付けられている。
 髪も、長くなってる。
 目を腫らして、鼻を真っ赤にしてるけど、大人のなのはだ。
 でも、この裏に、あの泣いてばかりの、小さいなのはがいる。
 悪魔だの魔王だの言われてる――半分は、アタシの責任か――けど、本当のなのはは、決してそんなに強くない。
 そんなこと、あのときに分かってたことじゃないか。
 それなのに、元気になった姿に安心して、すっかり忘れてた。
 こんなじゃさ、嫁失格だよな。
 だけどよ――

「……フェイトもユーノも。出番は当分回ってこないだろうけどさ」
「なんの、話?」
「こっちの話だ」
「え~、気になるよ。ねえ、教えて。ねえ、ヴィータちゃん」
「……しょうがねえな。あのな、なのはを守ってやるなら、その二人でも良いかもしんないけど、譲る気はないって……さっきも言ったろ」
「……うん、それは聞いたけど」
「これは、アタシがやりたいことなんだ。他のヤツじゃ嫌だ、意味がないんだよ」
「……えへへ」
「へん。もう笑いやがって。もう少しめそめそ泣いてろっての。その方が可愛げがあるぞ」

 背中に回った腕の、力がだんだん強くなってる。
 ぎゅーっと抱きしめられるのは、悪くないけど、思った以上に身体が痛くて、そろそろ止めて欲しかった。
 でも、そのことを伝えても、なのはは一向に止める気配がなく、ホントに痛くなってきた。
 抱きしめられる、胸の感触や、身体の温かさを感じてる余裕がなくなってきたんだ。
 マジで、痛い。
 泣きそうだ。

「なあ、ホントに止めてくんねえか」
「もうちょっとだけ、お願い」
「退院したら、好きなだけやらせてやるから。今は、勘弁してくれ……」
「ううん、いや」
「子供みたいなこと言ってんじゃねーって」

 すっかりいつもの調子を取り戻したなのはは、言うことを聞かない。
 もう少し、今年中ぐらいはしおらしくしてりゃ可愛いの――

「……そういやよ、なのは」
「なに?」
「今日ってさ、何日だ? 多めに見積もって、二十五日ぐらいか?」
「そういえば、クリスマス過ぎちゃったね。ええっと……二十九日ぐらいだったと思う」
「……大掃除ぐらいはやったよな?」

 恐る恐る尋ねるアタシに、なのはは「えへへ」となんの罪悪感もない笑顔を見せてくれた。

「どうすんだよ、多分、いや絶対、アタシは今年中退院出来ないぞ?」
「ええー。私だって、まだ身体悪いんだもん。ホントは入院してなきゃいけなくて。だから、一人で大掃除なんて出来ないよ」
「あ、いや、それは分かってるけどさ……困ったな、こりゃ」
「大丈夫だよ。まだ本調子じゃないってシャマルさんに診断書、書いてもらえば」
「うーん……確かに、直ぐには現場に出られそうにはねえけどさ。気が引けるっていうか……とにかく退けったら」

 なのはは、嫌だという代わりに、腕に力を込めて、アタシを自分の胸に埋め込んだ。
 苦しい。
 ただでさえ、胸が痛くて息が浅いってのに、完全に顔が胸に埋まってる。
 このままじゃ……死ぬかも。
 こうなったら、仕方ない。

「いたっ! いたた! 痛いよヴィータちゃん!」
「お前が退かないからだぞ。痛いならどけって。とりあえず、離せ」
「うう~。ヴィータちゃんの意地悪」
「アタシは前からずっと意地悪だろ。……まあ、なのはにだけだけどな」
「……えへへ。嬉しいなあ」

 緩みかけた腕に、また力が込められる。
 抜け出すために、なのはの左腕を握ってやったのに、ちっとも効かない。
 眉間に皺が寄ってるからな、痛いんだろうに、ちっとも緩める気配がないぞ。
 ちぇ。しょうがないヤツだな、なのはは。

「……はあ、まあ良いや。その代わり、年越しと新年の準備はお前がやるんだぞ」
「ええ~、手伝ってほしいなあ」
「取りあえず、自分の部屋ぐらいは自分でやれよ。アタシは手伝わないからな」
「はーい。じゃあ、準備が出来たら、海鳴に帰ろうね」
「そうだな。新年の挨拶、しとかなきゃいけないし」

 すっかり、今後の予定の話になってしまった。
 でも、それで良いんだよな。
 明日の話ってのは良いもんだ。
 あのときみたいに、明日のことが考えられないなんて、もう、勘弁だ。

「でも、その前に、みんなに謝りにいかないといけないかな……」
「……ん、そっか。みんな、そんな気にしてないと思うけどな。気が済むようにしたら良い」
「うん。とくに、はやてちゃんには」
「ん、分かった。アタシはついていかないぞ」
「分かってる。これは、私とはやてちゃんの問題だから」

 なのはは、真面目な顔で、自分に言い聞かせるように言った。
 きっと、アタシの意識がない間に、なにかあったんだろう。
 気にはなるけど――はやてと、喧嘩でもしたんだろうか――、自分でケリをつけると言ってるんだし、黙っていよう。
 ……やっぱり、気になる。
 でも、こんなことまで口を出してちゃ、なのはだって子供じゃないんだし……うーん。

「ヴィータちゃんが一緒にいてくれるなら、大丈夫だよ。なんにも、心配ないもん」
「あんま頼られても困るんだけどな。四六時中、お前と一緒にいる訳じゃないんだしさ」
「だったら、教導隊に来てよ。ヴィータちゃん、実績あるし、推薦状とか、書いてもらったら大丈夫だよ」
「……前にも言ったけどな。お前の守りをするために、いくんじゃないぞ」

 他愛もない話ってのも、いいもんだって、改めて思わされる。
 他人が聞いたら下らなすぎて、苦笑いものだろうけど、アタシらには、これで良いんだ。
 まだ若いし、結婚して日も浅いし。
 結婚してから、なにかが劇的に変わったということはないけど、徐々に変化してきてると思う。
 前は、こんなにはっきりと、なのはを大切だって、好きだって思わなかったからな。

「なに笑ってるの?」
「別に」
「何にもないのに笑うわけないよ? ねえ、教えてよ~」
「……しょうがねえな。アタシらは、まだまだこれからだなって、そう思ってたとこ」
「――そうだよね。私たち、まだ結婚して三ヶ月ちょっとの、新婚さんだもん」

 なのはが笑ってる。
 これで良いんだ。
 色々あったし、これからも色々あるだろうけど、その都度、二人でなんとかしてきゃ良い。
 なにせ、まだ新婚なんだからな。
 なあ、なのは。


 


 


 


 


 
――― 新婚なの! おしまい。

 

 

 

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